コラム No.53-20PREコラム
戦略的な地域活性化の取り組み(20)「小さな拠點(diǎn)」づくり2 「道の駅」を拠點(diǎn)とした地域再生の取り組み
公開日:2019/12/26
近年、各地に魅力的な道の駅が誕生し、地域內(nèi)外からの多くの來訪者の憩いの場となっています。また、集客力が高い観光地の道の駅は、地域外から流入する観光客を受け入れることで、地域経済への波及効果も大きく、地域活性化に繋がる可能性を持つ施設(shè)でもあります。
住民主導(dǎo)で農(nóng)業(yè)生産法人を設(shè)立し、地域をマネジメント。道の駅「瀬替えの郷せんだ」
道の駅「瀬替え(せがえ)の郷せんだ」は新潟県十日町市北西部、信濃川支流の渋海川(しぶみがわ)沿いに集落が點(diǎn)在する雪深い仙田地區(qū)に位置しています。仙田地區(qū)の人口は約570人、高齢化率は約40%に達(dá)しています。「瀬替え」とは、蛇行した川と川の間に直線的な新しい水路を作って水流を変え、元の川があった場所に新たな新田をつくることで、仙田地區(qū)は、この「瀬替え」により水田を開拓し、米どころとして栄えてきました。
しかし、人口の減少により、1998年頃には12あった集落のうち3集落が無居住化し、さらに農(nóng)業(yè)従事者の高齢化によって、耕作継続が危ぶまれました。そのような中、住民同士の話し合いにより、地區(qū)の活性化構(gòu)想を策定され、仙田地區(qū)営農(nóng)委員會と各集落営農(nóng)組合を設(shè)立、2001年には農(nóng)業(yè)の體験交流館、農(nóng)産物直売所などからなる道の駅「瀬替えの郷せんだ」が整備されました。
仙田地區(qū)の地域マネジメント法人として期待
それでも、人口の減少には歯止めがかからず、小學(xué)校や保育所が廃止されたことに続き、2009年には地區(qū)唯一の店舗も撤退し、住民の生活そのものの継続も難しくなっていきました。この事態(tài)を受けて、営農(nóng)継続と地區(qū)の存続に強(qiáng)い危機(jī)感を持った若手有志を中心に、住民による話し合いが開始され、2010年には、発起人6名と高齢農(nóng)家9名で「株式會社あいポート仙田」が設(shè)立されました。その後、市から農(nóng)業(yè)體験交流館の指定管理業(yè)務(wù)を受託したことを機(jī)に、都市農(nóng)村交流が主目的であった道の駅に、買い物不便地區(qū)の解消と高齢者支援にも対応できる事業(yè)を付加し、道の駅を仙田地區(qū)の拠點(diǎn)とする再整備が 開始されました。
現(xiàn)在、道の駅「瀬替えの郷せんだ」では、農(nóng)業(yè)體験交流館をはじめ、住民の買い物支援と観光客への農(nóng)産物等の商品販売を目的とした店舗「あいマート」、地區(qū)の女性が中心となって食事を提供し地域交流の場として機(jī)能する「お食事処ながせ」が併設(shè)されており、また、農(nóng)業(yè)支援として擔(dān)い手を確保する「営農(nóng)継続支援事業(yè)」、高齢者支援として「冬季の雪下ろし支援事業(yè)」や「高齢者通所事業(yè)」などが展開されています。
今後も、道の駅「瀬替えの郷せんだ」を拠點(diǎn)として、「株式會社あいポート仙田」が地域課題に対応できる體制と能力を備えた「地域マネジメント法人」としての役割を果たすことが、期待されています。
廃校を活用した珍しい多機(jī)能型の駅の道~道の駅「奧永源寺渓流の里」~
奧永源寺地區(qū)は、東近江市の東部、鈴鹿山脈を挾んで三重県との県境にあり、「木地師文化」や「政所茶(まんどころちゃ)」などの地域資産を育み、琵琶湖に注ぐ清流「愛知川(えちがわ)」が流れる、日本の原風(fēng)景を殘す歴史?文化?自然などの観光資源が豊富な地域ですが、人口は約370人、高齢化率は55%を超えており、少子高齢化が進(jìn)んでいる地域でもあります。
そうした中、2004年には統(tǒng)廃合により舊政所中學(xué)校が廃校となる一方、三重県との県境部に石槫(いしぐれ)トンネルが整備されることが決定し、中部圏からの來訪者が増加することで、地域活性化への期待が高まっていました。また、2005年には永源寺町が合併により東近江市となったことを機(jī)に、2007年には、舊政所中學(xué)校を活用して、市役所出張所、市民サロン、出張診療所、民間が運(yùn)営するデイサービスセンター、防災(zāi)用臨時へリポートを併設(shè)した「鈴鹿の里コミュニティセンター」が設(shè)置されました。
その後、2011年に石槫トンネルが開通すると、地域の通行量が大幅に増加し、住民の間で道の駅の運(yùn)営に対する意欲が高まり、2015年に官民が連攜した「奧永源寺渓流の里運(yùn)営協(xié)議會」 が設(shè)立され、「鈴鹿の里コミュニティセンター」の一角を改裝した道の駅「奧永源寺渓流の里」が 開業(yè)?運(yùn)営する運(yùn)びとなりました。これにより、行政機(jī)能と生活支援機(jī)能を併せ持つ複合施設(shè)が 誕生し、地域の小さな拠點(diǎn)として機(jī)能しています。
今後は地域生活拠點(diǎn)から観光交流拠點(diǎn)としての役割を強(qiáng)化
道の駅「奧永源寺渓流の里」は、「鈴鹿の里コミュニティセンター」が持つ行政機(jī)能、住民交流機(jī)能、醫(yī)療福祉機(jī)能、防災(zāi)機(jī)能に加えて、地域産品の直売所、住民向けの日用品?食料品の販売、食事処、観光客向けの情報?展示コーナーなどが同一施設(shè)內(nèi)にコンパクトに収まっている、珍しい施設(shè)だと思います。
今後は、地域生活拠點(diǎn)としての複合施設(shè)をさらに発展させ、地域外からの來訪者と地域資源をつなぐ観光交流拠點(diǎn)としての役割が期待されています。
ご紹介した2つの取り組みは、人口減少、高齢化により地域の生活基盤が崩壊していくことに危機(jī)感を抱いた住民が自ら再生に立ち上が り、住民主體の地域マネジメント組織を立ち上げ、道の駅を拠點(diǎn)とした地域支援事業(yè)を運(yùn)営している事例として、注目されます。
































































































