ダイワハウスコンペティション告知ページ
青木 淳
今回のテーマはとても難しいものでした。概念的なものから現(xiàn)実的なものまで、テーマの捉え方によって案の方向性もさまざまです。この振れ幅が重要であり、コンペ単體で終わらせない社會への問題提起となるのです。一方、建築という言葉は定義や內(nèi)容が人によって如何様にも異なりますが、その建築が目指すべき空間が示されている必要があります。このコンペの特徴は、2次審査で模型を用意してもらうことであり、その案が建築としてどうなのか突っ込んだ議論が成されることです。最優(yōu)秀賞を受賞した「都市をキャンプする」は、彼女なりの思考された建築のリアリティが、多くの共感を呼んだ結(jié)果だといえます。
堀部 安嗣
テーマに真摯に向き合った多様性のある作品が多かったことはとてもよかったと思います。今までの當(dāng)たり前が、これからも當(dāng)たり前になるとは限らないことが明るみになってきた時(shí)代の背景が反映されているのでしょう。そのような厳しい現(xiàn)実に対して建築はリアルに向き合わなければならないのですが、リアルとフィクションとファンタジーが整理されていない作品が多く、評価が難しかったという側(cè)面もありました。そんな中、最優(yōu)秀の案は今の現(xiàn)実に向き合い、リアルさが徹底されているところに臨場感と生命感があり、高評価に繋がったのではないかと思います。
平田 晃久
興味はそそられるが難しいテーマ。個(gè)人的には夜の光、月明かりとか火の光といった原始の光に現(xiàn)代的に遡る案を期待していましたが、あまりそのような案はありませんでした。とはいえ、最優(yōu)秀の案は「都市をキャンプする」というテーマで自身のリアルな感覚を解像度高く建築化していたのが印象的でした。欲をいえば、ここにおける「都市」が住まい手側(cè)から見て違和感をもつワイルドなものとして、もっとキャンプの創(chuàng)造性を喚起できたかもしれません。優(yōu)秀賞の2案は、川の流れによって文字通り動く天蓋というありそうでなかった案と、繊細(xì)な精神に訴えかける能面のコミュニティの提案で、獨(dú)創(chuàng)的。思いもしなかった多様な提案を楽しみました。
小堀 哲夫
今回は、模型や公開審査のプレゼンテーションで大きく提案の見方が変化していきました。1次審査では分からない(気がつかない)世界を、こちら側(cè)が読み取れているのかをより考えさせるテーマでした。提案者が得られる気づきや拡張性や野生(もしくは新しい感覚)が、どう建築に落とし込まれ、概念と身體を繋げようと試みた案に共感をもち、最優(yōu)秀賞の「都市をキャンプする」は、住むということは何よりも楽しいと気づかせてくれる提案でした。コンペとはやはり自分と他者を探求するよい機(jī)會であり、それを?qū)g際の模型や空間や建築に落とし込むことは、苦しみでもあり最大の楽しみです。
八田 哲男
今回が初めての參加でしたが、とても楽しませていただきました。學(xué)生を中心に若い受賞者がほとんどで、自分が若かった頃と重ね合わせたうえで、ひとつお願いがあります。こうしたコンペで、皆さんが発信する言葉の力を大切にしてほしい。作品はそれぞれ素晴らしいのですが、そこでの考えやこだわりを言葉として表現(xiàn)し、いかに効果的にアピールできるのか、その重要性がより感じられたのではないでしょうか。中には提案に対する?yún)棨筏ひ庖姢猡ⅳ盲郡人激い蓼工⒋韦长饯涎匀~でねじ伏せてやるくらいの勢いをもって、また次回も応募していただきたいです。
最優(yōu)秀賞 都市をキャンプする
優(yōu)秀賞/大和ハウス工業(yè)賞 電気を切る、命が流れ
優(yōu)秀賞 仮面が育むプライバシーとつながり
入選 電気を使わない家電
入選 游居(ゆうきょ) 不安の中を移ろう
入選 月の家
入選 ちょうどいい家 コンヴィヴィアルなスチームエンジン?エコシステムを內(nèi)包した家の提案
白熱のプレゼンが行われました
白熱のプレゼンが行われました
大和ハウス工業(yè)賞審査委員として、弊社社員も參加しました
村田副社長より開會の挨拶、八田役員より主催者講評挨拶
総評
総評
表彰式
審査員を囲んでの集合寫真
北野 ユミ(京都工蕓繊維大學(xué)大學(xué)院)
キャンプをしていると雲(yún)の動きや雨の音、木漏れ日など、自分の意思に関わらず変化していくものを肌で感じられ、何時(shí)間と過ごしていても飽きがこない。この舞臺を都市に置き換えて考えてみる。自然環(huán)境に加えて歩行者や車、隣人の暮らしなど、外部の変化はより絶え間なく多様な要素が入り混じっている。これらを暮らしに取り込んだ飽きない住まいの提案である。
敷地は京都市內(nèi)にある、4車線の白川通りと、白川沿いの小道に挾まれた三角形の変形地。表と裏とで異なる性質(zhì)をもつ通りに対して、それぞれを受け入れた暮らしを計(jì)畫した。ここでの1日は、白川通り側(cè)に設(shè)けた開口から日が差し込み、都市が起きるのと同時(shí)に始まる。都市と連続する土間?居間で朝食を取り、冬にはストーブに薪をくべ、都市を感じながら生活できる。小道側(cè)のベランダでは、白川から引いた水で洗った洗濯物を干し、晴れた日の午後には庭の単管にタープを張って日陰をつくりまったりと過ごす。子供部屋では外の様子を感じながら腰掛け、ハンモックに揺られながら晝寢をし、書斎では都市を見下ろしながら読書を楽しむ。都市を積極的に受け入れたこの住宅は、住居だけでなくオフィスなどの場所としても活用できるのではないか。(プレゼンテーションより抜粋)
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羅 一凡(中國鉱業(yè)大學(xué))
張 喆涵(早稲田大學(xué))
謝 云飛(早稲田大學(xué))
電気は世界を繋ぐために役立っている。しかし同時(shí)に、自然や生命から私たちを遠(yuǎn)ざけるものでもある。今、電気を切ってみよう。川の流れる力によりルーフが回転するこの住宅では、光の流れ、季節(jié)の移り変わり、川の流れをはっきりと感じることができる。內(nèi)部には最小限のルームを設(shè)置して、ほぼ半屋外のように計(jì)畫した。太陽が東から昇り西に沈むように明暗は常に変化し、それに対して人の生活も移り変わる。壁で仕切られることなく、光と影の位置関係によって機(jī)能が変化していく。地面は自然のままの狀態(tài)を保ち、周りの地形と一體化し、內(nèi)部空間でも動植物の生息環(huán)境を確保する。水車から著想を得たこの住宅は、私たちの知覚を拡大させ、空間にさらなる面白さを感じさせる。光の流れ、季節(jié)の流れ、川の流れ、あるいは時(shí)間と自然の流れ。いずれも人間の生活と密接に関係している「命の流れ」といえるのではないか。(プレゼンテーションより抜粋)
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石田 康平(東京大學(xué)大學(xué)院)
今、人びとの集まり方が問い直されている。現(xiàn)代における電気とプライバシーの関係性から、新しいプライバシーのかたちを構(gòu)想する。これは三鷹の森を敷地とした、仮面を付けて暮らす集合住宅である。8人の住居者に対し、8種類の仮面と8つの門?寢室を設(shè)定した。仮面は1日ごとに入れ替わり、共同生活における各自の役割は仮面ごとに割り振られている。仮面やその役割はコミュニケーションのきっかけになる一方で、仕事や趣味といった個(gè)人に紐付くような會話は成立しない。次の日には仮面が変わり、前日の繋がりはリセットされ続ける。仮面を付けると視界が狹まるこの場では、柱といった垂直性が空間認(rèn)知のガイドとなる。屋根と床をずらすことで、仮面を付けない人には一見無秩序だが、付けた人だけに生活動線が浮かび上がる空間構(gòu)成とした。そこに外部の人たちが入り混じり、多様な交流を誘発する。(プレゼンテーションより抜粋)
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菊池 凌平(東京工業(yè)大學(xué)大學(xué)院)
杉山 翔太(信州大學(xué)大學(xué)院)
小林 友哉(橫浜國立大學(xué)大學(xué)院)
電気を使わない家において、家電はガラクタとして扱われるだろか。たとえば冷蔵庫はその性質(zhì)上、熱を內(nèi)部に入れないために真空斷熱材と呼ばれる高性能な斷熱材が入っている。このように、身の回りの家電は電気を通わずとも、熱伝導(dǎo)率の高い熱交換器や、光をコントロールする偏光板といった、熱?光?空気などに特化した多種多様な性質(zhì)が內(nèi)在している。また、パラボラアンテナのディッシュのように、特徴的な形態(tài)をしたものも多い。家電の意味が解體された世界において、家電の性質(zhì)や形態(tài)を活かしながら再編。細(xì)分化した構(gòu)成要素を組み合わせ、郊外に建つ既存の木造住宅を改修する。(プレゼンテーションより抜粋)
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中川 雄斗(伊藤暁建築設(shè)計(jì)事務(wù)所)
堺 皓亮(フリーランス)
電気がなくなると、環(huán)境や場所を一定の狀態(tài)に保ち続けることは難しく、內(nèi)部は外部環(huán)境の変化に曬され、內(nèi)部と外部、占有部と共有部といった境界が曖昧になっていく。その不安定な環(huán)境を肯定し、それに応じて自らの暮らしを楽しみながら変えていくシェアハウスを提案する。常設(shè)の軀體は柱と梁のみで、入居者は自由に仮設(shè)的な居場所や足場をつくり、環(huán)境の変化に合わせて移動する。入居者のみならず設(shè)計(jì)者やマネージャー、近隣住民が交流?協(xié)力し、多動的な暮らしを支える仕組みをつくる。賃貸とし入居者の入れ替えを促し、ショートステイにも対応することで変化し続ける場所となる。(プレゼンテーションより抜粋)
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鈴木 俊介(慶應(yīng)義塾大學(xué)大學(xué)院)
現(xiàn)代において、人間は道具を使っているのだろうか。道具が人間を支配しているのだろうか。電気のない世界で生を感じ、かといって不便すぎる生活を強(qiáng)いられない、オフグリッドな動力と共に生きる家の提案である。敷地は山々に囲まれ森林資源は豊富である。近くの川から水をポンプアップして引き入れ、木質(zhì)ペレットの暖爐で溫め、水蒸気をシリンダーに入れ揚(yáng)水ポンプの動力とする。蒸気機(jī)関設(shè)備は生活空間に入り込み居住性を向上させ、周辺環(huán)境と人間の生活との媒介者として機(jī)能する。(プレゼンテーションより抜粋)
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林 嵩之(立命館大學(xué)大學(xué)院)
中山 翔貴(立命館大學(xué)大學(xué)院)
電気を使わないことで、電線といった電力インフラによる場所の拘束から家は自由になる。普遍的な光源である太陽の動きに合わせ浮遊する家の提案。気球は2重の膜で構(gòu)成されており、上部は透明または半透明膜で光を通過させ、下部は熱線吸収膜や反射鏡で光や熱を受け止めることで、溫?zé)釀抗摔瑜陜?nèi)部気體を加熱し上昇する。建物には炭素繊維、ナノマテリアルのカーボンナノチューブを採用し、住宅の総重量を1/10に軽減。夜間は月の光を吸収するのではなく反射鏡で反射させ、室內(nèi)へと送り込むことに特化させることで、燈りのない街路において月のように光を反射し、地上を照らす。(プレゼンテーションより抜粋)
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宮地 凌央(武蔵野美術(shù)大學(xué))
資源不足により夜間に住宅への電気が供給されなくなった東京。しかし、主要な交通機(jī)関である電車の運(yùn)行においては電力の使用が認(rèn)められた。線路沿いに100mほど連なる、築60年近い低層集合住宅を改築する。共用の渡り廊下は既存の建築と線路に挾まれ、夜はほとんど光が入らない。電車が近づいて來ると徐々に光が迫り、橫を通る時(shí)には眩しいほどに廊下が照らされ、電車が過ぎるとまた暗闇へと戻る。繰り返されるこの現(xiàn)象は、未來の東京の風(fēng)景を想起させる。(応募案より抜粋)
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北野 湧也(京都工蕓繊維大學(xué))
電気と発明家は切っても切れない関係であり、電気と家も同様である。これは電気を失った発明家による電気を失った家を綴る記録。「どうやら私は電気を失い、電気のない家での生活を強(qiáng)いられることになったらしい。」「家をベルマウス型と呼ばれるかたちにしてみよう思う。空気は暖められたら上へと上昇するから空気に動きが生まれそう。」「地下は貯水槽を中心にキッチンやお風(fēng)呂などの水回りと冷蔵庫を配した。調(diào)理場とお風(fēng)呂が隣だから同時(shí)に火を焚けるし煙突のように排煙されるから安心だ。」(応募案より抜粋)
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矢野 翔大(UR都市機(jī)構(gòu))
佐藤 夏綾(京都大學(xué)大學(xué)院)
「電気のない暮らし」とは、「所有」と「制御」のない暮らし。今、私たちは土地?空間を所有し、その環(huán)境のほとんどを電気を用いて制御することで、自然や周囲から切り離された場で暮らす。一方で、外で夜風(fēng)に當(dāng)たったり、賑やかな場に身を置く時(shí)間も私たちの生活の一部を形成している。本來暮らしとは、周囲と自己との間の反応で成立するものである。従來の住宅の機(jī)能を分解し、より機(jī)能が活きる場所に移すことで、周りのものと共鳴し合う暮らし方を提案する。(応募案より抜粋)
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伊藤 貴哉(芝浦工業(yè)大學(xué))
勝浦 真帆(芝浦工業(yè)大學(xué))
保坂 和輝(芝浦工業(yè)大學(xué))
現(xiàn)像。それは、真っ黒なフィルムに色を出現(xiàn)させる。電気は空間やモノに機(jī)能という名の色を與える。今や電気が通うところは私たちの生活にはなくてはならないものとなっている。そして、依存してしまっているが故に電気がなくなった時(shí)、私たちは途方に暮れてしまう。ー彼は都市の隙間に家を結(jié)んだ。道を行き交うエンジンの音を音楽として受け取り、そこに自らの鼻歌を重ねるー(応募案より抜粋)
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福原 直也(法政大學(xué)大學(xué)院)
関川 竜宇司(法政大學(xué)大學(xué)院)
山城 耕介(法政大學(xué)大學(xué)院)
電気を使わない家では、遠(yuǎn)くからの情報(bào)が遮斷され、微量な電子音からも開放される。こうした情報(bào)の欠如は注意力の密度を高める。その時(shí)、私は、そこで刺激する何かと対話する。家がもつ物理的枠組みを飛び出し、あらゆる輪郭を消していく感覚を覚える。それが宇宙である。宇宙への入口を開くことは意識的にできない。そんな無意識の世界に入りやすくするために、住宅で過ごすモジュールを少し崩し、自己の體験を元に五感を刺激するあらゆる要素に絞りをかける。(応募案より抜粋)
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小川 祥吾(フジタ)
杉本 健(フジタ)
髙永 賢也(フジタ)
大村 美波(フジタ)
佐藤 祐斗(フジタ)
この度はアンエレトリック製品をお買い上げいただき、誠にありがとうございます。取扱説明書をよくお読みのうえ、正しく安全にお使いください。「掃除する ー ごみと空気の2重螺旋。サイクロン式掃除機(jī)に見られる遠(yuǎn)心力をモチーフに、螺旋狀のスロープで構(gòu)成しごみを滑らせていきます。ごみと空気の2重螺旋をごみと人の2重螺旋に置き換えることで、掃除好きの住人は住まいながら「ソウジキ」を働かせる電力の役割を果たします。」(応募案より抜粋)
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児玉 征士(法政大學(xué)大學(xué)院)
福士 若葉(法政大學(xué)大學(xué)院)
食事をしながらテレビを見ている時(shí)、それぞれへの意識は薄くなり、多くの知覚を取りこぼしている。私たちは電気による膨大な量の現(xiàn)実と関わることで、感じ、想像する時(shí)間が減っている。電気のない家は、そんな電気によって奪われた、目に見えぬものを感じて思いを馳せる豊かさを取り戻す力があるのではないか。これは現(xiàn)代の生活を「ながら病」と定義し、電気を失った余白に空間を挿入することを通して、人に想像を與える提案である。(応募案より抜粋)
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松野 泰己(立命館大學(xué)大學(xué)院)
中田 洋誠(立命館大學(xué)大學(xué)院)
1970年代からワンルームマンション賃貸が急増し、現(xiàn)代では日本全國の1/3の賃貸がワンルームとなっている。そうした現(xiàn)代のワンルームは、電気を利用した利便性に優(yōu)れる一方、個(gè)人が獨(dú)立していく。そんな閉鎖的なワンルームが連続するだけの接點(diǎn)がない共用部でいいのだろうか。電気がなくなると、電気により暮らしを便利にしていた個(gè)人の空間は最小限でよくなり、キッチンやダイニングといった空間がコミュニティを形成し、日常を共有する住居のあり方が生まれる。(応募案より抜粋)
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巖崎 伸治(東京藝術(shù)大學(xué)大學(xué)院)
田中 優(yōu)衣(橫浜國立大學(xué)大學(xué)院)
機(jī)械とは、誰もが一定の目的を変わらず達(dá)成することを目指す。対して道具とは、個(gè)人の手による慎重な操作によって、環(huán)境に対する融通性をもって目的を達(dá)成するものである。電気、取り分け家電製品を使わない家を考える時(shí)、建築の道具的側(cè)面が際立つと考えた。建築を天候?光?気溫といった環(huán)境の変化を打ち消すための機(jī)械としてではなく、融通を効かせて環(huán)境を乗りこなすための道具として捉え直すことで、生活の感覚や豊かさについて考える。(応募案より抜粋)
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