
CASE27
醫(yī)療施設(shè)
社會醫(yī)療法人岡本病院(財団)くみやま岡本病院
- 所在地:
- 京都府久世郡
- 構(gòu)造:
- 鉄骨造
- 延床面積:
- 9,147m2
- 竣工:
- 2025年4月
- 用途:
- 地域包括ケア病床(50床)、回復(fù)期リハビリテーション病床(50床)
- 併設(shè):
- 健診センター、居宅介護支援事業(yè)、訪問看護、スキルアップセンター
1906年、京都市伏見區(qū)に診療所を開設(shè)。その後、山城北醫(yī)療圏(京都府南部4市3町)において2病院とクリニックを展開し、地域の醫(yī)療を長く牽引されてきたのが、社會醫(yī)療法人 岡本病院(財団)様です。
2016年には、宇治市の第二岡本総合病院を京都府久世郡久御山町へ新築移転され、急性期一般病床(365床)を中心とした全419床の「京都岡本記念病院(改稱)」を開設(shè)されました。一方、伏見岡本病院(京都市伏見區(qū))の老朽化も深刻な課題となっており、急性期の京都岡本記念病院の一層の機能強化についても同時に実現(xiàn)する新病院の開設(shè)を計畫されました。
計畫のポイント
老朽化した施設(shè)の課題解消に向けて病院機能の移転を計畫
開業(yè)の地で半世紀(jì)以上もの間、地域醫(yī)療を続けてきた伏見岡本病院(舊 第一岡本病院)の老朽化も法人にとって大きな課題でした。配管などの設(shè)備に関する不具合や非耐震構(gòu)造の対応のため、移転候補地を探すも近隣エリアに適地が見つからず計畫は難航していました。

2020年、京都府から山城北醫(yī)療圏の回復(fù)期機能を充実させるための整備計畫として、新設(shè)病床の公募がありました。これを受け、伏見岡本病院の機能移転を決斷。コロナ禍の経験を活かし、パンデミックにも対応可能な病院の提案が評価され、100床の認(rèn)可を取得。建設(shè)地として、急性期醫(yī)療の京都岡本記念病院(以下、記念病院)の南側(cè)隣地を確保されました。
京都岡本記念病院との連攜強化と機能補完
地域の醫(yī)療ニーズに応え開設(shè)された記念病院は、急性期一般病床が続く中、患者の高齢化による在院日數(shù)の長期化や回復(fù)期への転院が容易ではないなどの課題が顕在化しました。これら課題に対応するために、施設(shè)の改善や機能強化を図り、職員も拡充しました。


今回、記念病院の隣地に建設(shè)された「くみやま岡本病院(以下、新病院と表記)」は、地域包括ケア病床(50床)、回復(fù)期リハビリテーション病床(50床)の規(guī)模となります。記念病院から他の回復(fù)期醫(yī)療機関への転院の際に生じる「病院が変わる、醫(yī)師が変わる、看護師や職員が変わる、環(huán)境が変わる」といった患者様の不安解消にもつながっています。また、記念病院から健診センターを移転させ、機能強化を図るとともに、これまで拡充できなかった記念病院の職員向けを含めて、2病院の職員が共同利用できる福利厚生スペースを充実させました。
パンデミックに完全対応できる可変機能病棟の整備
記念病院は、もともと災(zāi)害対応病院として設(shè)計された開放的な構(gòu)造であったため、院內(nèi)感染を防ぐには難しく、コロナ禍では一部の急性期醫(yī)療に支障が生じていました。そのため新病院では、パンデミックに対して完全に対応できる可変機能病棟の整備が求められました。



新病院では、1階の外來エリアの一部、2階の入院リハビリテーション室、4階の回復(fù)期リハビリテーション病棟の半分を隔離空間としてパンデミックに対応。さらに、隔離空間専用のエレベーターが配置されています。
お客様の聲
急性期と回復(fù)期の一體サポートで患者様の安心感と機能強化を?qū)g現(xiàn)
京都南部の醫(yī)療を牽引していく

社會醫(yī)療法人 岡本病院(財団)
理事長 京都大學(xué)名譽教授:藤井 信吾 様
(2025年7月15日取材)
いまから約120年前、京都市南部の伏見の地に生まれた一つの診療所から當(dāng)法人の歴史は始まりました。1954年には醫(yī)療法人を設(shè)立し、25年後の79年には京都府宇治市に第二岡本総合病院を開設(shè)。そして、2009年には京都府初の社會醫(yī)療法人として認(rèn)定されるなど、長きに渡り、府南部の地域醫(yī)療へ貢獻してきました。
2016年には、醫(yī)療?福祉?交流の中心の場とする京都府久世郡久御山町の地區(qū)計畫「メディケアゾーン事業(yè)」の中心施設(shè)としての誘致を受け、第二岡本総合病院を新築移転。急性期一般病床を中心とした「京都岡本記念病院」として生まれ変わりました。
移転によって大阪府との府境により近くなり、立地も高速道路のICに隣接した主要國道にも近いという特性があるため、以前からの患者様や京都府南部はもちろん、大阪府北部においても多くの患者様から認(rèn)知されるようになりました。そして、そのアクセス性の良さや手術(shù)?高度醫(yī)療への対応についても評価をいただいたことから、広範(fàn)なエリアから急性期醫(yī)療を求める方や救急車からも支持を集めています。
私は、大學(xué)教授を退任後、京都と大阪で大規(guī)模醫(yī)療機関の経営を経験した後、當(dāng)法人に入職。『経営內(nèi)容の見える化による全員參加型の経営』や『斷らない病院、斷らない醫(yī)療の実踐』など、病院內(nèi)のさまざまな改革に攜わり、2018年より理事長を務(wù)めております。
2020年1月、新型コロナウイルス感染癥例が日本でも確認(rèn)。強い危機感を感じ、2月にはCOVID-19対策本部を法人內(nèi)に立ち上げ、病院長をはじめ現(xiàn)場と意見交換を行いながら、経験したことのない感染癥への対応策を検討しました。患者様と職員の安全安心ため、ICU(集中治療室)の活用による重癥患者への対応やPCR検査體制の拡充を図るなど、新型コロナウイルス感染癥対応病院としての體制を整えたのです。実際、外來患者様の激減などの狀況は生じたものの、迅速な対策と職員の皆様の盡力によって、救急患者様の受け入れは継続しつつ、院內(nèi)感染や入院患者の減少は最小限に抑えられ、経営面への深刻な影響は回避できました。
今回の新病院の計畫について、発端は伏見岡本病院の老朽化にありました。築50年以上経過した建物は、配管類をはじめとする設(shè)備の不具合や一部には雨漏りも生じており、さらに非耐震構(gòu)造であったことから、建て替えが喫緊の課題。しかし、近隣エリア內(nèi)にて移転候補地を探すも適地が見つからず、計畫は難航していました。
そんな折、山城北醫(yī)療圏の回復(fù)期機能を充実させるための整備計畫として、京都府より新設(shè)病床の公募がありました。そこで、記念病院と同じメディケアゾーン內(nèi)に「伏見を移そう!」という構(gòu)想が生まれたのです。応募に際しては、コロナ禍で得た経験をもとに、パンデミックにも対応可能な回復(fù)期病床の病院開設(shè)を提案。評価をいただき、100床の許認(rèn)可を受けることができました。さらに、建設(shè)予定地として記念病院南側(cè)の隣地を確保することができました。
計畫の具體化に際しては、舊知の設(shè)計會社と基本プランを煮詰めていましたが、社會情勢の変化から建築資材が高騰し、業(yè)者選定方法の再検討を余儀なくされました。基準(zhǔn)設(shè)計や仕様に基づいた設(shè)計?施工によるプロポーザルを大和ハウスさんを含めたゼネコン數(shù)社で実施。希望する建設(shè)費?建設(shè)工期に、設(shè)計施工の一社対応という答えで応えてくれたのが大和ハウスさんでした。実は、大和ハウスさんとは公募前の構(gòu)想段階から「業(yè)者選定の保証はない」ことを前提に、さまざまな意見交換や相談をする関係でしたので、安心してお任せすることができました。
2025年4月、待望の新病院「くみやま岡本病院」が開設(shè)に至りました。これからの時代に求められる『パンデミックに対応できる可変機能病棟』を備え、『記念病院と新病院の連攜強化によって生まれる患者様の安心』と『記念病院と新病院の機能強化』を?qū)g現(xiàn)します。さらに、記念病院の醫(yī)療規(guī)模拡大によって不足していた『法人全體で利用できる職員スペースの充実』は、働きがいのある醫(yī)療現(xiàn)場として、職員のモチベーション向上につながることを期待しています。また今回、5階に設(shè)置したスキルアップセンターは、醫(yī)療機器などを常設(shè)して法人全體で研修やトレーニングに活用する施設(shè)で、地域醫(yī)療の技術(shù)向上にも貢獻しようと、他の醫(yī)療機関にも開放しています。
2つの病院が集まり、連攜を強めることで、役割はますます高まっていくでしょう。進む少子高齢化や政治?社會の動きをみても、これからも醫(yī)療を取り巻く環(huán)境は甘くないことが予想されます。しかし、いつの時代も患者様の満足は、『醫(yī)療従事者が自分に対して、どれだけ関心を持って関わってくれたか』。だからこそ、私たちが今後も取り組むのは、一人でも多くの方に、ホスピタリティの心で良い醫(yī)療?看護を提供すること。必ずそれは伝わります。