全國(guó)有數(shù)の繁華街、京都祇園に店を構(gòu)える鍵善良房。
江戸享保年間から約三百年にわたり受け継いできた老舗の味と
花街の文化を守るための新たな挑戦についてご紹介します。
三百年続く京都祇園の上菓子屋
老舗の條件の一つは、三代あるいは四代にわたって受け継がれ、百年以上続いていることだといわれます。京都祇園に店を構(gòu)える御菓子司 鍵善良房(以下、鍵善)は創(chuàng)業(yè)約三百年。老舗和菓子店として古くからこの地で親しまれています。
一口に和菓子といってもさまざまな種類がありますが、京都では朝生菓子、餅、上菓子の3種類に大別されます。朝生菓子は、ちまきやかしわ餅(もち)など日常的に家庭で食べられる菓子。餅は鏡餅、小餅など。上菓子は生菓子や干菓子(ひがし)、上用まんじゅうなど、茶の湯や冠婚葬祭の席で客をもてなすための菓子を指します。鍵善は祇園町の上菓子屋として、お寺やお茶屋、家庭などを得意先にもち、來(lái)客をもてなす生菓子やまんじゅうを配達(dá)する商いを営んできました。
ところで、今の鍵善を知る人がまずイメージするのは「くずきり」かもしれません。かつてはお茶屋遊びや芝居見物を楽しむ馴染み客に配達(dá)していたものを、昭和30年代以降に店內(nèi)で提供し始めました。祇園を訪れる紳士淑女の舌を楽しませてきた伝統(tǒng)の味は、今も昔も変わらず多くの人に愛されています。
くずきりを旅の目的として、遠(yuǎn)方から京都にお越しになる方も多いのだとか。作ってから10分も経つと透明さや食感が損なわれていくため、作り置きができない、つまり、ここでしか味わえないのです。そんな貴重な妙味だからこそ、人の心を惹きつけてやまないのかもしれません。

輪島塗の器で供される「くずきり」。なめらかなのど越しと食感、そしてコシの強(qiáng)さは、吉野本葛に由來(lái)します
鍵善を愛した蕓術(shù)家たち
鍵善の本店は創(chuàng)業(yè)以來(lái)「縄手通四條上ル」に構(gòu)えられていましたが、明治時(shí)代に四條通が拡張された際、現(xiàn)在の場(chǎng)所(四條通沿い、花見小路通の西)に移転。1998(平成10)年に建て替えられて店は新しくなりましたが、店內(nèi)には年月を重ねた風(fēng)格が漂っています。
入って正面のショーケースを挾み、向かい合うように置かれた「拭漆欅大飾棚(ふきうるしけやきおおかざりだな)」は昭和初期から使われており、重厚感ある堂々とした佇まい。これらは若き日の黒田辰秋(くろだ たつあき)(1904?1982)の手によるものです。先々々代の當(dāng)主が、後に人間國(guó)寶となる木漆工蕓家の才能を早くから認(rèn)めて店內(nèi)の調(diào)度の制作を依頼しました。現(xiàn)在も帳簿類入れや陶蕓作品のウインドウケースとして、現(xiàn)役で活躍しています。

上菓子屋の歴史を感じさせる鍵善本店の店內(nèi)
また、四條通に面するショーウインドウに展示された「赤漆寶結(jié)文飾板(あかうるしたからむすびもんかざり)」も辰秋の作(傷みが激しいため、現(xiàn)在はレプリカを展示)。入り口の橫に掲げられた「くづきり」の書は、民藝派の陶蕓家?河井寬次郎が揮毫(きごう)したものです。寬次郎の陶蕓作品は店內(nèi)にも數(shù)多く飾られています。
この他にも、白樺派の小説家?武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)、二科(にか)展を創(chuàng)設(shè)した津田青楓(つだせいふう)など、名だたる蕓術(shù)家が祇園を訪れ、鍵善に出入りしていました。こうした蕓術(shù)家たちとの交流や、彼らが殘した作品は、鍵善の大切な財(cái)産となっています。

1934年、黒田辰秋が29歳の時(shí)に制作した大飾棚。拭漆という技法により、ケヤキの美しい木目が際立ちます
昔ながらの製法を守り続けて
本店入り口上部の壁にはたくさんの木型がずらりとディスプレーされています。これらは干菓子を作るために使う道具で、古くから受け継がれてきたものの一部です。中には江戸時(shí)代にさかのぼる貴重な木型もあるそう。鍵善ではこうした道具を使い、できるだけ昔ながらの製法を守ることで、変わらない味を作り続けています。

本店に飾られた木型。堅(jiān)い桜の木でできていますが、使い込まれて角がとれ、使われてきた時(shí)間の長(zhǎng)さを感じさせます
定番商品の「菊壽糖(きくじゅとう)」は幕末から作られているロングセラー。その名の通り、小さな菊の花をかたどった愛らしい干菓子です。1864(元治元)年製の型が殘っていることから、少なくとも150年以上の歴史があると分かっています。今も當(dāng)時(shí)と同じ形の木型を使っているため、姿形がまったく変わっていないということにも驚きます。原料は四國(guó)?阿波産の和三盆(わさんぼん)だけ。繊細(xì)な甘みやなめらかな口どけ、すっきりとした後口が特徴です。

鍵善の代表銘菓、菊壽糖。江戸時(shí)代から変わらない形
また、先に紹介したくずきりは、奈良県吉野大宇陀(おおうだ)の葛と水のみで作る、単純だからこそ奧の深い甘味です。しばしば「水を売っている」と皮肉を言われるほど、良質(zhì)の軟水を大量に使って作られています。製法は至ってシンプル。店頭で注文を受けてから葛粉を水で溶いて平鍋に入れ、じっくりと湯煎します。薄く固まったら再度湯にかけ、冷水に取り、5?6ミリ幅に切るだけ。秘伝の製法などというものはありませんが、こだわり抜いた原料と、決して手を抜かない誠(chéng)実で丁寧な職人の仕事から唯一無(wú)二の味が生まれます。蜜は黒蜜と白蜜のいずれかを選ぶことができますが、沖縄県波照間島(はてるまじま)の黒糖を使用した黒蜜が提供當(dāng)初の味として人気だそうです。

くずきりの原料となる吉野本葛は、葛の根を細(xì)かく砕き、地下水で精製したあと自然乾燥させたもの

丸い平鍋で湯煎して固めた葛粉を、冷水にさらしているところ。このあと、包丁で5~6ミリ幅に斷ち切っていきます
老舗の伝統(tǒng)を現(xiàn)代へつなぐ
15代目店主として現(xiàn)在看板を背負(fù)っているのは、社長(zhǎng)の今西善也(いまにしぜんや)さん。子どもの頃は學(xué)校から帰ると工房で遊んだり、職人らのお手伝いをしたりと、家業(yè)の菓子屋を肌で感じて育ちました。大學(xué)卒業(yè)後は東京で菓子職人として3年間修業(yè)を積み、実家へ戻ります。先代である父が常々宣言していた通り60歳で引退すると、善也さんは36歳で経営のバトンを渡されることになりました。以來(lái)、菓子職人と社長(zhǎng)業(yè)の二足のわらじを履き、無(wú)我夢(mèng)中で今日まで過ごしてきたそうです。
社長(zhǎng)として善也さんが大切にしてきたのは、老舗の伝統(tǒng)を守ることと同時(shí)に、今の時(shí)代に何をすべきかを考えることでした。鍵善の和菓子とコーヒーを味わえるカフェをオープンしたり、SNSで幅広い世代へ向けて情報(bào)発信をしたり。昨年は、賞味期限が短いため難しかった生菓子の通信販売にも挑戦し、軌道に乗せました。

鍵善のマークは蔵の「鍵」をモチーフに描かれています

路地裏の町に溶け込むミュージアムの外観

展示室はゆったり鑑賞できるよう空間設(shè)計(jì)
人々の交流から生まれる祇園町の文化
2021年にはミュージアム「ZENBI 鍵善良房 KAGIZENART MUSEUM」を開館。本店を構(gòu)える四條通からほど近い祇園町の路地の一角に、町に溶け込むように奧ゆかしく佇んでいます。もともとは先代の住居と若い作家の作品を発表するギャラリーがあった場(chǎng)所を活用し、現(xiàn)代的な和を表現(xiàn)した建物を建築しました。
館內(nèi)には鍵善が保管してきた黒田辰秋の作品が數(shù)多く展示されています。中でも目を引くのは、名物のくずきりを入れるために使われていた螺鈿(らでん)の容器。ゴージャスな輝きに目を奪われます。また、ゆかりの作家によるアート作品の企畫展も行われます。
善也さんはミュージアムの開館について、熱い思いを語(yǔ)ってくださいました。「祇園町には、大人の社交場(chǎng)として人と人が出會(huì)い、新しいアイデアや蕓術(shù)を生み出してきた文化があります。鍵善はこの町に鍛えられ、訪れるお客さまに育てていただきました。町の文化を次代に継承するために、蕓術(shù)に觸れ、文化を感じていただける場(chǎng)所を作りたかったのです」
コロナ禍によって私たちの暮らしは大きく変化しました。しかし、人と人の出會(huì)いから生まれる文化の尊さや、丁寧な手仕事で作られた味の価値はこの先も変わることがないでしょう。こんな時(shí)代だからこそ、節(jié)句菓子を買い求める人も多いと聞きます。
その小さな姿の中に伝統(tǒng)やこだわりがつまった鍵善の和菓子。祇園町の歴史や文化、それらを継承してきた人々の思いを感じながら手に取って、日々の豊かさを味わってみませんか。

格子越しに路地に面した、ミュージアム1階の中庭 磚庭(せんてい)

螺鈿模様が贅沢に用いられたくずきりの容器。鍵善の依頼で作られた、貴重な黒田辰秋の作品の一つ

四角い箱の面にらせん文様を美しく立體的に表現(xiàn)した「赤漆流稜文飾手筐(あかうるしりゅうりょうもんかざりてばこ)」
PROFILE
今西 善也さん(いまにし ぜんや)
1972年生まれ。京都祇園にある菓子屋「鍵善良房」の長(zhǎng)男として生まれ育ち、同志社大學(xué)を卒業(yè)後、東京銀座にある菓子屋にて修業(yè)。その後、家業(yè)を継ぐために家に戻り、2008年に父の意向で社長(zhǎng)交代し、15代目當(dāng)主に就任。「ZENBI-鍵善良房-KAGIZENART MUSEUM」の館長(zhǎng)も務(wù)める。

取材撮影協(xié)力
鍵善良房 四條本店
住所/京都市東山區(qū)祇園町北側(cè)264番地
TEL/075-561-1818
定休日/毎週月曜(祝祭日の場(chǎng)合は翌日)
営業(yè)時(shí)間/菓子販売 9:30~18:00
喫茶 10:00~18:00(17:30ラストオーダー)
ZENBI- 鍵善良房 -KAGIZEN ART MUSEUM
住所/京都市東山區(qū)祇園町南側(cè)570-107
開館時(shí)間/10:00~18:00
※入館は閉館の30分前まで
休館日/月曜(祝休日の場(chǎng)合は翌平日)、年末年始、展示替期間
※休業(yè)日や営業(yè)時(shí)間は変更する場(chǎng)合がありますので、ホームページ等でお確かめください。
2022年2月現(xiàn)在の情報(bào)となります。