少し遠出??歴史に思いを馳せて???Part29
- 更新日:2018年04月24日
- カテゴリ:オーナー日記3
チューリップフェスタ(4/7~4/20)が開催されていると聞き、
早朝からわんこたちと豊後大野市の原尻の滝に行きました
早朝からわんこたちと豊後大野市の原尻の滝に行きました

家からはおおよそ110キロ、高速道を乗り継いで、
1時間半ほどの行程です
1時間半ほどの行程です

この原尻の滝は、9萬年程前に、阿蘇山の大噴火で発生した
溶巖が滝周辺で堆積したことが始まりのようで、
何もない田園地帯に突如現(xiàn)れる幅広い滝(幅120m、高さ20m)で、
溶巖が滝周辺で堆積したことが始まりのようで、
何もない田園地帯に突如現(xiàn)れる幅広い滝(幅120m、高さ20m)で、
東洋のナイアガラ(少し、言い過ぎかな?)と稱されており、
日本の滝百選にも選ばれています。
日本の滝百選にも選ばれています。
また、滝のすぐそばには、吊り橋があり、ここからも滝の全貌が
眺めることができます。
眺めることができます。
さて、チューリップフェスタはと言うと、この原尻の滝の
すぐそばに道路を挾んで所狹しとチューリップが競い合うように、
自分カラーを誇示していました。
すぐそばに道路を挾んで所狹しとチューリップが競い合うように、
自分カラーを誇示していました。
海抜325mの臺地にある岡城阯は東京ドームの22個分に
あたる広さがあり、想像以上に、そのスケールには驚かされました
あたる広さがあり、想像以上に、そのスケールには驚かされました

岡城は文治元年(1185年)に築城されたと伝えられ、
大野川の支流、稲葉川と白滝川が合流する間の舌狀臺地上に築かれ、
川岸からそそり立つその姿はまさしく、「難攻不落」の
大野川の支流、稲葉川と白滝川が合流する間の舌狀臺地上に築かれ、
川岸からそそり立つその姿はまさしく、「難攻不落」の
天然の要塞であったと容易に推察できました。
なお、現(xiàn)在の山上には巨大な石垣で築かれた要塞の跡のみが
殘っています。
殘っています。
さて、瀧廉太郎は少年時代をこの竹田で過ごし、荒れ果てた
岡城に登って遊んだ印象が深かったとされ、
明治34年(1900)に中學(xué)校唱歌「荒城の月」を作曲、
発表しています。
岡城に登って遊んだ印象が深かったとされ、
明治34年(1900)に中學(xué)校唱歌「荒城の月」を作曲、
発表しています。
ちなみに作詞は別の人でテーマも仙臺城、會津若松城との
ことらしいです。
ことらしいです。
◇山上の滝廉太郎銅像
この歳になって、中學(xué)生時代に授業(yè)でよく歌った
「荒城の月」のルーツに出會えるとは、
「荒城の月」のルーツに出會えるとは、
本當に懐かしい、幸せな1日でした。
歴史に觸れる、歴史に出會える杵築ライフに感謝です!!
★杵築リゾートの資料請求はこちら★
(平成30年4月撮影)
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(平成30年4月撮影)