奈良時代の官僚 【 藤 編 】
- 更新日:2017年12月10日
- カテゴリ:歴史
前回投稿の【番外編】同様に、
奈良の官僚テーマから離れそうですが、
清麻呂さまと、しっかり 繋がっているのです。
それは、 藤 ふ じ
和気 清麻呂さまの ご生誕地は、岡山県 和気郡 和気町 藤野
清麻呂さまのルーツは、和気郡(舊:藤野郡)の豪族:和気氏です。
藤野 ⇒ 藤 ⇒ 藤棚 ⇒ 藤公園の 藤
舊:藤野郡を治めていた 和気氏は、氏神様として祀られました。
やがて、清麻呂さまも 祖神の一人とされ、
狛犬が 🐗イノシシの 和気神社が建立されました。(舊:岡山県社)
1985年(昭和60年) 清麻呂さま生誕 1250年記念として、
和気神社のお隣に、「藤公園」が開園したのです。
地名:藤野の『藤』つながりで園內(nèi)には、
沖縄を除く 46都道府県から藤が集められました。
一方、
鹿児島県霧島市牧園町の和気神社
イノシシ狛犬

(和気神社関連は、
いづれも平成29年 3月撮影 ロイヤルシティ別府灣杵築リゾートから約 380km)
神社縁起は、
769年の 宇佐神宮神託事件 が発端で、
清麻呂さまが大隅國に左遷配流されたことです。
1853年、配流から 1000年以上経った 江戸末期、
不明だった配流地が特定されました。
特定させたのは、薩摩藩 11代當(dāng)主:島津 斉彬(なりあきら)公です。
藩見回りで大隅に寄った際に、特定するよう命令を下しました。
太平洋戦爭中ですが、
配流地に県社の認(rèn)可が下がりました。(建立出來ず)
1946年、終戦直後の昭和21年 3月、
配流地が特定されてから 93年を経て、神社が建立。
和気 清麻呂さまが分祀されて祀神となります。
やがて、岡山県の本営にならい、
霧島の和気神社も隣接地に、藤の公園を造ります。
公園名稱は、藤公園でなく、「和気公園」。
やはり、
全國から藤を集めました。
そして、2017年の春には、藤まつりが 14回を迎えたのでした。
藤まつり 準(zhǔn)備中??


チリメンは、和気公園にある藤棚のなかで、
偶然に、大分の西寒多神社の藤を見つけたのです。

西寒多神社の藤プレート

西(サ) 寒(サム)多(タ )と、読みます。
豊後國の 一之宮:西寒田神社の 藤を 見に行きました。
と、 その前に、前回投稿の【番外編】で訂正がございます。
★霧島の和気神社において、動かない守護(hù)獣を、
白 🐗イノシシ「白君(♂)」と仮稱と致しましたが、
正しくは、「和気ちゃん(♀)」と判明しました。
☆マスコット守護(hù)では、平成 7年の「あいちゃん」が初代で、
現(xiàn)在の「和気ちゃん」は平成20年デビューです。
和気ちゃん

(平成29年 7月 7日撮影 この日は起きてました~
ロイヤルシティ別府灣杵築リゾートから約380km)

(平成29年 7月 7日撮影の証拠寫真
ロイヤルシティ別部灣杵築リゾートから約395km)
★お詫び
訂正につきまして、関係者各位に深くお詫び申し上げますと共に、
思い込みを改め、正しい投稿に努めます。~

西寒多神社へ



(西寒多神社関連の寫真は、
いずれも平成29年 7月撮影 ロイヤルシティ別府灣杵築リゾートから約60km)
西寒多神社に到著しました。
大きな石柱には、豊後國一之宮 國弊中社 と、あります。
江戸末期に造られた 石橋「萬年橋」 を渡りますと???

とても綺麗な境內(nèi)です。
さて、藤は????
ありました。
萬年橋の左に 藤棚のトンネルが見えます。

藤トンネルの藤は、一本の藤です。

橋を渡りますと?? 元気な藤棚が伸びています。


西寒田神社の大藤 (大分市の天然記念物に指定)
大きなヤマフジで、樹齢は450年以上と推察されています。
その大きさは、
樹高 約 3m 50cm
幹回り 約 2m 80cm
枝幅 約 24m
藤が満開の季節(jié)になると、
大分のテレビ局が取材に訪れるようです。
清麻呂さまも、
きっと故郷の藤が好きで、
藤の花が大好きだったのでしょう。
文責(zé):チリメン「間違ってたら、ごめんなさい」
(藤の開花時期に、訪ねたいと思います)