『観月能?橋弁慶』
- 更新日:2016年12月06日
- カテゴリ:探検
10月16日、前夜の観月祭に引き続き、妹二人と、『若栄屋』さんの
『北の丸能舞臺』にて、『うれしの御膳』と能楽の夕べを
楽しみました。
午前中は、農業文化公園で遊び、カミさんへのお土産、
安心院のヌーヴォー確保、お晝は、國東半島巡りの『銀たちの郷』で、
太刀魚定食に土産の海産物など購入、真玉方面へ半島を3/4ほど周回した
本館1階で、夕方5時過ぎに、早めの『うれしの御膳』です。
いつもの鯛のアラ炊きの代わりに、豊後牛のロースがついています。
我々の座席の斜め向かいに、あな懐かしやのご夫婦が著座されました。
初代杵築リゾートの管理人を勤めていただいた、H氏です。
『若栄屋』さんとは、姻戚関係があると聞いていましたので、
ひょっとしたら會えるかなと思っていましたら、300名近くの
來場者の中で、まさか目の前に座られるとは、でございます
しばらく、歓談しまして、82歳になられるという、若さの秘訣
みたいな話から、詩吟「淡窓伝光霊流」の8段、とのことで、
奧様の方が今は実力が上らしく、九州でも1?2位を爭うほどの、
喉前?らしいといった話で、盛り上がりました。
◆定番の『鯛茶漬け』でございます。
食事後、館內を案內、北の丸の能舞臺に入館、著座しまして、
開演を待ちます。
◆離れの『北の丸』玄関ですう。
6時過ぎより、前説から始まり、『橋弁慶』のあらすじから、
様々な能楽についてのお勉強を、楽しませていただきました。
淡々と、一方的に能舞を見せる手法でなく、面白さを伝え、
興味を喚起させるといった、能楽のすそ野の広がりまで意識した、
今流の能楽の世界戦略なのかもですね。
◆前説さんの、能についての興味深い紹介説明が始まりました。
「普通の能舞では、面をつけて舞うのですが、小面(こおもて)は
ご存知でしょうか?
白塗りの無表情のアレですね。
シテ方(舞師)は、喜怒哀楽を表現するとき、小面の下でどんな表情で
舞っているのでしょう?
答えは、やはり無表情なのです。
すべて面差しの角度や體の傾き、手振りなどで、表現しているのです。
せっかくですから、喜怒哀楽をみなさん一緒にやってみましょう。
さあお立ちください。」といったふうに、體験させることで、
一挙にその世界に引き込むのですね。
『怒』の表現の時に、右向け右の體勢から、顔だけキっと左向け左する
のが、とても面白く、皆さんと同じ表情で、イリコもやってるのだなあ
とか、これ、カミさんと何かあったときに、そっとやってみようかな!
なんて思いました
このあと、シテ方弁慶役の馬野正基先生や、囃子方さんらが、
やはり能楽のイロハを丁寧に、興味深く教えてくれました。
能舞の始まりです。『橋弁慶』では、面はつけません。
シテが弁慶ですので、皆が知る牛若丸中心の、千本目の刀をネラう
弁慶をやっつけるというストーリーではありません。
一連の安宅関の勧進帳までを意識した、弁慶が主役の描き方ですので、
むしろ、夜な夜な五條の橋で狼藉を働く牛若を懲らしめるべく対戦
する、といったストーリーも新鮮でした。
弁慶、なぎなたを飛ばされて、さぞや名のあるお方、とのことで、
名乗りあうと、「な?なんと源義朝がご子息!?」で、主従関係の
契りを交わす、というところで、能舞は終わります。
◆このカットは、関係各位のご協力のたまものでございます。
牛若役が、杵築でも有名な耳鼻科I醫院の先代院長のお孫さん、
13歳とのことで、これもまた、杵築の能楽の將來は明るいなと
思わせるものでした。
ただ、能舞臺開演中は、寫真撮影ができませんので、華やかなシーンは
殘念ながら、撮れませんでした。
やっぱ、寫真は必要でしょう、とのことで、各位にむちゃぶりを
申し上げましたら、観光協會事務局長はじめ、観月能実行委員會の
下河原氏、シテ方の馬野先生、市役所秘書広報課の方などの、
溫かいご協力をいただきまして、『広報きつき』11月號の表紙と
同じ寫真を利用させていただくこととなりました。
ありがとうございました。
舞臺終了後の皆さんとの記念撮影も欲しかったのですが、
地謡い方の到著が、東九州道の濃霧通行止めのため、1時間以上遅れ、
能舞が終わってすぐに、北九州に帰る二人の妹を杵築駅に送るべく、
あたふたと、寫真撮影はもちろん、H氏夫妻にも挨拶なしで
失禮してしまいました。
慌ただしい二日間でしたが、それでも、観月祭、観月能と、
杵築の持つ魅力を堪能した、二人の妹から、「また遊びに呼んでね。」
とのことでございました
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【大分農業文化公園】 〃 約31km
【銀たちの郷】 〃 約20km
(平成28年10月撮影)