遍路発祥の寺といわれる衛(wèi)門(mén)三郎再來(lái)伝説のある「石手寺」
- 更新日:2013年08月15日
- カテゴリ:歴史
皆さまこんにちは!佐田岬リゾートの石垣です!
子ども達(dá)は夏休み真っ盛りの時(shí)期ですね。
大人は“盆休み”までもうすぐです。
今年の夏は皆さまどちらにお出かけですか?
ご実家に帰られる方、海外へお出かけの方などなど‥
今年は是非!四國(guó)?愛(ài)媛県?佐田岬はいかがですか?

さて、そんな夏真っ盛りの今回は、
四國(guó)八十八箇所霊場(chǎng) 第51番札所?石手寺のご紹介です。
子ども達(dá)は夏休み真っ盛りの時(shí)期ですね。
大人は“盆休み”までもうすぐです。
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ご実家に帰られる方、海外へお出かけの方などなど‥
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さて、そんな夏真っ盛りの今回は、
四國(guó)八十八箇所霊場(chǎng) 第51番札所?石手寺のご紹介です。
國(guó)寶に指定されている大きな仁王門(mén)、國(guó)指定重要文化財(cái)の本堂、
三重塔、護(hù)摩堂、鐘樓など四國(guó)霊場(chǎng)の中でも
隨一の寺寶?文化財(cái)を有する石手寺。
三重塔、護(hù)摩堂、鐘樓など四國(guó)霊場(chǎng)の中でも
隨一の寺寶?文化財(cái)を有する石手寺。

道後溫泉から近いこともあり、境內(nèi)には線香の煙が絶えることなく
一年中観光客で賑わっています。
なんと2009年にはミシュラン?グリーンガイド日本版の
1つ星にも認(rèn)定されている有名なお寺です。
☆衛(wèi)門(mén)三郎再來(lái)伝説
天長(zhǎng)年間(824〜834)の頃、伊予の國(guó)の豪農(nóng)?衛(wèi)門(mén)三郎の
屋敷にみすぼらしい托鉢僧が現(xiàn)れたが何度も追い返し、
最後には手に持っていた鉢をたたき落として8つに割ってしまった。
屋敷にみすぼらしい托鉢僧が現(xiàn)れたが何度も追い返し、
最後には手に持っていた鉢をたたき落として8つに割ってしまった。
僧は姿を消したが、その年から衛(wèi)門(mén)三郎の子どもは1人ずつ亡くなり、
最後には8人の子ども全てが死んでしまった。
最後には8人の子ども全てが死んでしまった。
嘆き悲しむ衛(wèi)門(mén)三郎の枕元に弘法大師が現(xiàn)れ、
自分の罪に気付いて懺悔の気持ちから大師を求めて
四國(guó)巡禮の旅に出るが、病に倒れてしまう。
死期の迫った衛(wèi)門(mén)三郎の前に大師が現(xiàn)れ、
路傍の石に「衛(wèi)門(mén)三郎」と書(shū)いて手に握らせ、
そのまま衛(wèi)門(mén)三郎は息を引き取った。
翌年、伊予の國(guó)の領(lǐng)主に長(zhǎng)男が生まれるが、
その子は左手に「衛(wèi)門(mén)三郎」と書(shū)かれた石を握っていた。
その石は安養(yǎng)寺に納められ、後に「石手寺」と社號(hào)を改めた。
この衛(wèi)門(mén)三郎の四國(guó)巡禮が遍路の発祥だと伝えられています。
寺域は66,000㎡とたいへん広く、戦火や災(zāi)禍による焼失を免れた
鎌倉(cāng)時(shí)代建立の堂宇をはじめ、寶物館などの見(jiàn)どころがたくさんあります。
鎌倉(cāng)時(shí)代建立の堂宇をはじめ、寶物館などの見(jiàn)どころがたくさんあります。
また、本堂の向かって左側(cè)にある洞窟?都卒天洞には、
八十八ヵ所霊場(chǎng)と四十九修行場(chǎng)が設(shè)けられていているので、
ぜひ入ってみてください。
八十八ヵ所霊場(chǎng)と四十九修行場(chǎng)が設(shè)けられていているので、
ぜひ入ってみてください。
※寫(xiě)真は平成25年6月撮影
※四國(guó)八十八箇所のご紹介については、“四國(guó)八十八箇所霊場(chǎng)會(huì)”からの
承諾を頂いております。
※四國(guó)八十八箇所のご紹介については、“四國(guó)八十八箇所霊場(chǎng)會(huì)”からの
承諾を頂いております。