奈良時代の官僚 小倉【足立山編】
- 更新日:2018年01月12日
- カテゴリ:歴史
奈良時代の官僚シリーズ
いよいよ終盤編に入りました。
(と、言うことは 未だシリーズが続く?????)
今回の投稿では、
福岡県北九州市小倉の足立山を舞臺にした物語を、二つご紹介します。
<足立山物語 その壱>
北九州市門司區出身の ある営業マンの物語
夏季オリンピックが 9回開催、干支が三回も繰り返した今は昔、
一人の営業マンが、心身を癒す為に立ち寄る山が在りました。

それが、


國道10號線に近い 足立山の山麓に、整備された公園が有りました。
公園は安部山公園と呼ばれ、
日當たりの良い駐車スペースがあり、
和気 清麻呂公の石像が建っていました。
(ここなら、會社の信心深くない人達が來ることは有るまい。
なにより、清麻呂公が優しく見守ってくださる??萌ぇ

( 公は、宇佐八幡宮神託事件を解決した皇臣で??ムニャ ムニャ?グ~?)
※ 営業マンの映像は顔にボカシが入れられ、音聲は加工されてお屆けしています
ポケットベル、テレフォンカード、たまごっち、そして攜帯電話と
営業ツールが変わるなか、清麻呂公のことは長く忘れていました。
30年以上経った ある日突然、霧島で営業マンの記憶が蘇ります。
それは、ロイヤルシティ霧島妙見臺に向かう沿道で見た幟と看板。
「藤まつり」「和気神社」
※ 振り返りは、 2017年 6月投稿の 奈良時代の官僚から ご確認下さいませ
営業マンは、鹿児島に異動した自分を、清麻呂公と重ねます。
(清麻呂さま、僕と一緒で、九州の北と南で苦労されたとですね。)
(足立山では、わっぜぇお世話んなりもした。あいがと さげもしたぁ)
営業マンは初デートの相手が、岡山からの転校生だったこともあり、
同じ岡山ご出身の清麻呂公について、思い入れが強くなるのでした。
未練がましい物語
(終)
<足立山物語 その弐>
備前國藤野郡(岡山県和気郡)出身の ある官僚の物語
ある営業マンが足立山に立ち寄る 1212年前の奈良時代、
一人の元官僚が、心身を癒す為に立ち寄る山が在りました。

それが、


國道10號線沿いの宇佐神宮から すごく遠い 足立山の山麓に、
元官僚は居庵を構えます。
営業マンが癒しを求めていた公園は、
元官僚が足の溫泉治療で昔住んでいた場所でした。
(ここなら、道鏡が放った刺客が來ることは有るまい。
なにより、宇佐八幡神が見守ってくださる???萌ぇ

清麻呂公は宇佐八幡宮神託の事件解決後、
道鏡の仕返しで、官職を解かれ、配流先が大隅となります。
しかも足の筋を切られた説が有るほど、
立って歩くことが困難な足になりました。
舟で摂津を出港し、ようやく豊前の海岸へ辿り著いたものの、
道鏡が放った刺客が待ち構えていました。 ピンチ!

清麻呂公は、刺客から足を切られ、更に動けなくなりました。
大ピンチ!

すると、山から無數の豬が突然現れ、
清麻呂公を刺客から守り、宇佐八幡宮まで送り屆けたのでした。注1)
宇佐の八幡神は
「


そして、お告げ通り
企救郡の山の下にある溫泉に足を浸すと、
霊験高らか、立ちどころに 足の傷が治ったのでした。
清麻呂公は足で立って山にも登ることが出來たので、
山の名稱が、足が立つ山 →


めでたし物語
(終)
知ってる限り、
北九州市小倉の 足立山の山麓で、清麻呂さまの像があるのは、
安部山公園
葛原(くずはら)八幡神社
湯川水神社
足立山妙見宮
このたびは、
ロイヤルシティ霧島妙見臺と 『妙見』繋がりで、 注3)
小倉北區妙見町の足立山妙見宮を訪ねました。
(足立山妙見宮の寫真は全て、平成29年12月30日撮影)

豬の背に乗る 和気 清麻呂公の石像【遠景】(木が繁り過ぎ??)

石像は逆光で分かりにくいけど、ズームアップしてみました
🐗豬は左方向を向いて、足の傷を庇う清麻呂公は橫座りしています
【足立山妙見宮】
〇明治時代は 県社として「御祖(みおや)神社」と呼ばれましたが、
戦後 1945年から再び「妙見宮」と稱します。
〇祀神 天之御中主神(妙見菩薩)、清麻呂命など 25柱
〇利益 健腳 健康
〇縁起 770年 清麻呂さまが創始
799年 清麻呂さまお亡くなりを知った里人が奉祭 注4)
817年 清麻呂さま三男:參議真綱が奉祭
その後 清麻呂さま四男:磐梨妙運が和気一族の祖神も奉祭

足立山妙見宮の由緒略記
清麻呂公の子息らは、豊前國まで祖人をお祀りにいらっしゃったのですね。義理固い。
※ 葛原八幡宮の由緒も、ほぼ同じ內容のようです。

和気神社らしく守護獣は、狛亥! 寫真の奧の建物は神楽殿。 左の山斜面が足立山。
肝心の拝殿などを撮り損ねました、すみません。 でも、しっかりお參りしましたよ。
注1)

清麻呂公を守り、背に乗せて宇佐八幡宮まで屆けた豬は、
伝記では200とも300頭とも伝えられています。
清麻呂公と ゆかりの神社は、全て狛亥が一対で鎮座守護ています。
霧島の和気神社の白豬「和気ちゃん」も、お腹空かせて警護中。
また、昔の10円札の裏面では、豬肖像がデザインされていました。
<チリメン アイ>
リーチ予告で豬300頭が流れると、大當たりの期待が高まります

リーチ予告の豬群が白色なら、確変大當たりが確定します。
(

しかし、刺客が現れる前に、
清麻呂公が乗った舟が著岸したら即、豬に救出して欲しかったな。
300頭も居れば山に隠れるのも大変だったろうし、
誰が先頭で行くのか、鼻試合では決まらなかったのかもね。ブ~
注2)
足立山の霊泉???奈良時代は溫泉だったかも知れません。
葛原八幡神社の末社の湯川水神社には、湧き出す泉が有り、
清麻呂公が足を浸した、という伝説が殘っています。
<チリメン アイ>
溫泉は無いけど、足立山の山麓に「湯川」の町名が有ります。
注3)
妙見→不動の北辰 信仰(北極星の神格化)
仏教で、不滅の真理や善悪を見通す眼力を持つ
神道では、天之御中主神 → 神仏習合して → 妙見菩薩
<チリメン アイ>
霧島の新川渓谷溫泉郷のひとつ妙見溫泉は、
江戸時代に、妙見神社跡から溫泉が湧き出たことに起因するらしい。
注4)
足立山妙見宮の縁起では、
清麻呂公は滯在中、里人に治療薬を伝授した、とあります。
和気家は、薬に詳しい豪族で、京の都に呼ばれたのかもです。
いずれにしても、
清麻呂公は里人に尊敬され、その死を惜しまれていたようです。
何と? 足立山妙見宮の神社境內には、仏教の薬師堂が在ります。
薬師堂の由來 →

境內に薬師堂や薬師如來像が在る→神仏習合してるからOKです。
六郷満山の豊前一之宮:宇佐八幡宮の影響力なら自然な習合ですね。
薬師堂橫の 高倉稲荷社の鳥居

清麻呂公の人柄が九州に殘した伝説は、各地に伝承されています。
次回は、九州の南:霧島に殘る 公にまつわる伝説をお伝えします。
文責:チリメン「間違ってらゴメンナサイ」
突然ですが、
今回の投稿で、九州東部を南北でつなぐ 一般國道 10號線が登場します。
北から福岡県北九州市小倉北區→大分県→宮崎県→鹿児島県鹿児島市へ。
鹿児島市の照國神社が、國道10號線の最南端です。

照國神社前の大鳥居 奧に神社 山は城山 (平成29年11月撮影)
大鳥居を正面に、左(西)に行けば國道 3號線 右(東)に行けば國道10號線の始まり
☆照國神社の祀神は、薩摩藩 11代當主: 島津 斉彬公です。県民の人気は今なお絶大。
幕末に「日の丸」を発案。 何より清麻呂公の大隅配流地を特定して頂きました。