豊後國一之宮 その弐 【柞原八幡宮】
- 更新日:2017年12月15日
- カテゴリ:歴史
豊後國一之宮 その壱 では、
大分市寒田の 西寒多神社を 訪ねました。
豊後國には、大分市大字八幡にも 一之宮神社が 在りまして、
豊後國一之宮 その弐では、 柞原八幡宮を 訪ねてみました。
「ゆすはら はちまんぐう」と読みます。
では、お名前から??
昔は、「由原宮」「八幡由原宮」「賀來社」などと呼ばれ、
「柞原八幡宮」は、明治になって呼ばれるようになりました。
西大分港近くの國道10號線沿いに『浜の市仮宮』を構(gòu)え、
本殿が鎮(zhèn)座する二葉山に向かう參道には大鳥居があります。
山路の參道で、一対の石燈篭に遭遇

(登り??です。 燈篭が見えたから??もう少しです)
階段の參道に遭遇

(また登り??です。 先は未だでした。 禁煙です)
樓門

(寫真右の長い階段や石畳參道を登り切り、右に90度曲がれば 樓門 が見えてきます)
神社は山の豊かな森林樹木に守られ、境內(nèi)は石垣や漆喰壁で守られていました。
鎌倉時代の社伝による【縁起】
827年、平安時代の延暦寺の僧:金亀(こんき)が、
宇佐の千日修行で八幡神の神託を得た。
すると三年後、大分郡賀來郷に、八幡神の白幡が飛び渡った。
【賀來社の由來?】
豊前國の宇佐八幡宮の神社創(chuàng)建から約100年後の社伝記です。
これにより、八幡神の分祀で豊後別宮として崇敬を受ける。
★チリメン=當時の宇佐八幡宮は、九州最大の荘園主で権力武力宗教も最強っすね!

拝殿 と 拝殿に繋がる?yún)吚认?br />
【ご祀神】
応神天皇(八幡神/八幡大菩薩)
仲哀天皇(応神天皇の父)
神功皇后(応神天皇の母)
★応神天皇(八幡神)の皇子若宮は、 天皇(若宮八幡神)

広い回廊の 奧左から 拝殿廊下 拝殿 本殿

回廊から中庭境內(nèi)
★柞原八幡宮には、社殿や門が 10棟あります。
本殿、申殿、拝殿、樓門、東寶殿、西寶殿、東回廊、西回廊、西門、南大門
★寶物館には、太刀?甲冑?金銅仏など(車は別物)

★大友 宗麟が寄贈されたとする「宗麟太鼓」

【由緒】
827年、宇佐八幡神の分祀を勧請
836年、豊後國の國司により 神社の創(chuàng)建
1108年、天皇勅使の參向
この頃、豊後國一之宮の社格
1153年、鳥羽法皇のご祈願を修せられる
1184年、 1749年、火災消失 その後、順次再建される
中世は、大友家の庇護を受ける
1760年、樓門の竣工記録
1850年、八幡造りの本殿を再建
1870年、南大門の建立

柞原八幡宮の文化紹介碑
