奈良時代の官僚 その弐
- 更新日:2017年06月15日
- カテゴリ:歴史
清麻呂さまシリーズ1回目は、
宇佐八幡宮神託事件を解決した立役者の
皇臣:和気 清麻呂公が、左遷された史実と、
鹿児島県霧島市に 和気神社が在ることを、
ご紹介致しました。
清麻呂さまシリーズ2回目は、
清麻呂さま 左遷の理由を調査したいと思います。
「 左遷の歴史??? 違ったぁ !」
(やっぱ、BS番組を真似しても、似合わんねぇ~

と、 その前に 【訂正とお詫び】
清麻呂さまシリーズ1回目で、
★豊前國=福岡県の東部 と大分県の北部 とするところを、
太田県と誤変換してしまいました。

いきなり 【お詫びのチリメン脫線】
☆大分の県名は、大分郡の地名が由來で、
景行天皇が九州巡幸のとき、郡(こおり)名として授かりました。
「(棚)田が多く分かれている」と述べられ、
多い田が転じて、オオイタになったようです。
☆鹿児島の県名は、
鹿児島神宮(八幡神)在所の 舊地名:鹿児島郡が由來です。
「カゴ」は古代の言葉で 「崖」を意味し、
火山の桜島は崖の島で、四方の錦江灣も崖に囲まれています。
「シマ」は縄張り地域の意味で、テリトリーエリアと考えると、
「カゴシマ」は『崖の島』または『崖の區域』だと合點できます。
また、全國の崖地域では「鹿」の地名を當てることが多く、
鹿が生息する崖地が有るのかな?って、連想しちゃいますね。
本當に ☆


【チリメンの回想】から 捜査を開始
チリメンが、鹿児島へ単身赴任した 2010年の春の記憶。
ロイヤルシティ霧島妙見臺(以下、RC妙見臺)に行く道端に、
藤色の幟(のぼり)と誘導看板が立ちました。
幟には『藤まつり』、看板には『和気公園』と書いてあります。
( 和気??宇佐八幡宮神託で豊前まで、おじゃった清麻呂さま? )? ①
(清麻呂さま??北九州市小倉の足立山の冷泉に浸かった人? )??②
〔解説〕①おじゃった=鹿児島弁の丁寧語→「お出でいらっしゃった」
②冷泉 れいぜん = 公家の名家
れいせん=治癒成分を含み摂氏25度未満の水が湧き出る鉱泉
※當該シリーズでは、文脈的に後者を採用致します
素早い【チリメンの行動】
秋になって、和気公園のことが急に気になりだします。
仕事を放り投げ、RC妙見臺から直ちに車を走らせることを決意。
山道を登り切ると、瞬く間に『和気神社』に辿り著きました。
和気神社を見つけた 印象は?????
?????近っ!
和気神社=霧島市牧園町宿窪田
(RC妙見臺から約 7キロ)
和気公園は、和気神社に隣接してます。

公園內には、たくさんの藤棚が有ります




妙見臺 で検索頂けます! ↓
↓
霧島連山を望む臺地

茶畑臺地にある稼原(かせぎばる)バス停を左折します
↓
山道を登り

(左の坂道は、基本、交互通行です)
↓
和気神社に著きました

↓

☆ 23種の藤が 100本とあります。 見ごろは、4月中旬から5月初めの様です。
和気神社のご祀神は、『 和気 清麻呂公 』。

神社が建つ前の大昔、此処にお住まいされていたようです。
以下、(???)內の言葉は、チリメンの心の聲
(な、何で鹿児島の霧島で、清麻呂さまが お祀りされとん?)
境內のイラスト付き看板には、配流された処と書いてあります。
(ん、何で鹿児島の霧島まで、清麻呂さまが配流されたん?)
宇佐の神託事件を解決したものの、
道鏡の忖度を受けて、なんと大隅國へ配流されたのでした。
(で、清麻呂さまは、大隅で非業の最後を遂げとん?)
(だけんがら、配流の大隅に、鎮魂神社ば建てたと?)
清麻呂さまの安否は?



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200年後の 菅原 道真公の前例とは、なりませんでした。

イラスト付き 篤姫ガイド (撮影年月 平成29年3月)
☆配流された後、中央官僚に復帰したと書かれています
☆配流の所在地を特定したのは、第11代薩摩藩主: 島津 斉彬公です
☆坂本龍馬が新婚旅行で、霧島犬飼滝(いぬかいのたき)を訪れています

龍馬夫婦が新婚旅行で霧島を訪れたとき
和気神社は未だ無く、犬飼滝に立ち寄っています。
寫真左の看板には、新婚旅行で歩いた詳細ルートが書かれています。
毎年2月には、「龍馬ハネムーンロード」散策會が開催されます。

龍馬夫婦が犬飼滝を訪れた証拠寫真

ロイヤルシティ霧島妙見臺の入口にあるルート標識
ハネムーンルート標識

こちらの寫真角度が、標識デザインが分かりやすいですね。
寫真右に霧島川があり、鮎など川魚が 多く生息しています。

ロイヤルシティ霧島妙見臺の入口のヤマザクラ
(以上、全て撮影年月平成29年3月)
しかし、
出張先の豊前から帰京し、急いで事件を解決したのに、
いきなりの報復人事で、更に遠く大隅へ異動の緊急辭令。
神託のお告げで、皇位に就けなかった道鏡による
「一番遠い処に放ったった!」と、仕返しパワハラ報復。
西暦769年 清麻呂さま36歳
ビックリポン 絶望の夏、緊張の夏??
【 チリメン脫線 2 】
いにしえの豊前と大隅の國が、清麻呂さまを通じて繋がりました。
奇しくも、
大分から鹿児島へ転勤したチリメンと重なりますね(悲喜)
チリメンは、配流ではありませんでしたが(勘違いし過ぎ)、
清麻呂さまも、チリメン同様に
自炊覚悟の単身赴任だったのでしょうか?(悲哀出し過ぎ)

今、チリメンが見ている犬飼滝(いぬかいのたき)を
昔の清麻呂公も眺めては涙したのでしょうか(感情注入し過ぎ)
いや、溫泉に浸り、魚釣りしてたと思いたい(楽観の現実逃避)

霧島の和気神社 (撮影年月 平成29年3月)
(寫真中央の金屬は、階段手摺の握りバーです)
忘れていた【白い物體の謎解き】
ヒント → 岡山県の和気神社を検索して下さいませ!
霧島の和気神社は、戦後の昭和に建立されました。
岡山県の和気神社から分祀いただいたのです。
舊県社でもあった岡山の和気神社は、
備前藤野の豪族だった和気一族が、氏神を祀ったのが始りで、
藤野で生まれた清麻呂さまも祖神として祀られています。
現在の和気町藤野に1591年遷座した、と社伝があります。
在所の藤野から、
藤の花 → 藤棚 → 藤まつり と繋がりました。

霧島の和気神社 藤まつり準備中(平成29年 3月撮影)
☆彡 白い物體の最大ヒントは、和気神社の守護獣です。
投稿寫真に、正體が寫っていますですよ~


グーグー獣の守護獣???いつも寢て動かない???(撮影年月 平成29年 3月)
????まだ未だ、つづく??????

☆今回の掲載寫真は 全て平成29年 3月撮影でした
文責:鹿児島に単身赴任し戻れたチリメン