佐川美術(shù)館(滋賀県)に2007年完成した樂吉左衞門(らくきちざえもん)館。
その現(xiàn)代の茶室の姿からは、和の伝統(tǒng)を受け継ぎながら新しいものを
取り入れて表現(xiàn)する「守破離(しゅはり)」の精神を見て取ることができます。
琵琶湖大橋の南東に建つ佐川美術(shù)館は、母なる湖を表現(xiàn)した水庭の上に浮かぶ美術(shù)館として知られています。館內(nèi)に入り、エントランスから続く廊下を真っすぐに進(jìn)むと、水庭の中に潛るように続く階段があります。闇に吸い込まれるかのようなその先は非日常の世界。茶室と展示室がある別棟「樂吉左衞門館」につながります。
樂吉左衞門館は、2007年に佐川美術(shù)館內(nèi)の第三の館として開館しました。現(xiàn)代的なデザインや建材を取り入れながら、茶の湯の精神性を余すところなく表現(xiàn)した茶室は、開館以來十余年にわたり、建築関係者から一般の方まで多くの人を魅了し続けています。
建築にあたっては、樂吉左衞門さんが自ら設(shè)計(jì)創(chuàng)案を手がけ、建築材料を探すために東奔西走したといいます。
樂さん自身は、桃山時(shí)代から続く樂焼※の名門、樂家の第十五代當(dāng)主であり、茶道と深いゆかりのある方です。設(shè)計(jì)の専門家ではない樂さんが、自ら陣頭に立ったのには理由がありました。ただ茶室の伝統(tǒng)形式にならうばかりでなく、現(xiàn)代的に表現(xiàn)することを通じて、茶の湯の本質(zhì)を追究したいという想いがあったのです。
戦國(guó)~桃山時(shí)代の茶人、千利休(1522-1591)の教えをまとめた利休百首に次のような一首があります。
規(guī)矩(きく)作法
守りつくして 破るとも
離るるとても 本をわするな
これは「教えを守りながらいつかそれを打ち破り、離れることが大切だが、基本は忘れてはいけない」という意味。日本の伝統(tǒng)蕓能において長(zhǎng)く語り継がれる「守破離」という言葉はここから生まれたと言われています。樂さんはこの言葉を美術(shù)館設(shè)計(jì)におけるテーマに掲げました。
※樂焼…陶器の一種。天正初期、京都で長(zhǎng)次郎が創(chuàng)始した。二代目常慶が豊臣秀吉から「樂」の印を賜って以來、屋號(hào)を樂とした。
茶室への入り口前に掲げられた、樂さんの筆による「守破離」の文字
階段を下りきった先には、がらんと広い地下2階ロビーがあります。コンクリートのシンプルな壁に、地上の水庭を通った光が屆き、ゆらゆらと映し出されます。対稱的にある闇の空間は、茶の湯の立札席を區(qū)切る金屏風(fēng)の代わりとして位置づけられています。
そこから一つ上の階へ上り、光を最小限に絞った路を進(jìn)むと、円筒形のコンクリート壁に囲まれた空間が現(xiàn)れます。ここは「水露地」と名付けられた場(chǎng)所。丸く切り取られた天を見上げながら席入りを待つための腰掛待合です。
茶室は大小二つ設(shè)けられています。一つは3畳半の小間「盤陀庵(ばんだあん)」。別名「水沒する茶室」は、その名の通り水面下に存在する閉鎖的な空間で、スリット窓や天窓から訪れるわずかな日光が、壁の役割を果たす手すき和紙と、そこに仕込まれたアクリルの建材を介して幻想的な影を演出します。
地下2階ロビー。吹き抜けから日が入ると、水庭の水の揺らぎが壁に映し出され、水底にいることを感じさせる
小間の閉鎖性とは対照的に、水庭に面した地上の広間「俯仰軒(ふぎょうけん)」は開放的な茶室。
水面と床の高さの差を0にすることで、自然に対する人間の意識(shí)を改め、自身も自然の一部であることを認(rèn)識(shí)できる仕掛けとなっています。座して外を眺めると、水庭に植えられたヨシやヒメガマの植栽が見え、季節(jié)によっては遠(yuǎn)く琵琶湖の対岸にある比叡山系まで望めます。部屋の內(nèi)と外を隔てるガラス戸を開放すると、自然とのさらなる一體感を感じることができます。
水庭に浮かぶ茶室「俯仰軒(ふぎょうけん)」。畳の先に荒々しい巖肌、さらにその先に水面を望む。ヨシやヒメガマの繁みが季節(jié)の移り変わりを告げる
伝統(tǒng)茶室に用いられる壁材は古來より質(zhì)素な土壁が定番。しかし樂さんは意図する以上に「侘び」を醸す土壁を避けたいと考えました。
代わりに用いたのが、木目が入ったブラックコンクリートの打ち放し壁。比叡山の寺から譲り受けた杉板などを型枠に用いる(杉板浮造り)ことを選択しました。
また、その壁に調(diào)和する木材としてバリの古材や臺(tái)灣産の赤楠を選択。石材には割肌も荒々しいジンバブエ産の黒色御影石(ジンバブエブラック)を用いました。
石材や木材は自然の表象を殘しながら、人間が手をかけた跡も殘すことに。それらを消し去ることは偽りだと考えたのです。石を切り出した作業(yè)の跡や、古材の過去を示す用途の痕跡をあえて殘すことで、人の力を加えながらも損なわれない、湧き上がるような自然の力強(qiáng)さが表現(xiàn)されることになりました。
水沒する茶室「盤陀庵」。天井には解體した古民家の煤竹、床柱にはバリの古材、茶室內(nèi)部には越前和紙の壁が用いられている
伝統(tǒng)的な茶室の露地とは対極的に、一切の木や苔や竹垣をなくした「水露地」。コンクリートの壁に円く切り取られた天空と対峙しながら席入りを待つ趣向
客人が茶室に入る前の身支度をする「寄付(よりつき)」。ほの暗い閉鎖的な空間に、鉄刀木(タガヤサン)材のテーブルやオーストラリアで使われてきた枕木の床が存在感を示す
伝統(tǒng)建築の様式に縛られることなく、自らの感性を頼りに現(xiàn)代の茶室建築に取り組んだ樂さん。しかし、そうしたなかで畳や床の寸法は、堅(jiān)持すべきものとして定めました。
畳は日本の建築における寸法の大本とも言えるもの。畳一畳分がおよそ人の體の寸法であることを踏まえ、茶室の寸法は半間、一間など畳を基準(zhǔn)にするべきだと考えたのです。また、床や鴨居の高さなども、伝統(tǒng)茶室の寸法を踏襲しました。
樂吉左衞門の茶室は、さまざまな対照的なものが同居する空間となりました。新しいものと古いもの、日本のものと外國(guó)のもの。柔らかいものと硬いもの、自然物と人工物。そして光と闇。これら質(zhì)感も由來も異なるものが融和し、一つの世界を作り上げていく。そこに茶の湯の精神のあり方を見ることができます。
冬の俯仰軒(ふぎょうけん)の光景。建具で景色を切り取ることでその印象がさらに際立つ
夕暮れ時(shí)、佐川美術(shù)館の水庭には沈む夕日が木立の影を映し出し、鏡のような現(xiàn)実と虛構(gòu)のシンメトリーが現(xiàn)れます。この水庭に浮かぶ茶室と、水底に沈む茶室は、現(xiàn)代に開かれた非日常の空間です。
かつて千利休ら茶人たちは、茶の湯の場(chǎng)として「市中の山居」――「市中(都市生活)」つまり日常の中に「山居」をつくり、非日常を築きました。都市の喧騒の中に、戦亂の世の中に、壁一枚を隔てて出現(xiàn)させた非日常の世界。相対的な世界観の違いが人の心を解放させ、深い思念へと導(dǎo)きます。
樂さんは、そうした茶室の非日常性を、命の源泉であり命の循環(huán)の場(chǎng)である水のもとに求めました。その壯大な試みは、大いなるこだわりと真理への希求とともに美しく結(jié)実しました。
深遠(yuǎn)な恵みをもたらす湖のほとり。ここには人を異世界へといざなう入り口が開いています。
本館から樂吉左衞門館へつながる階段。右手に水庭を見ながら、その深みへと歩を進(jìn)めていく
ライトアップされた佐川美術(shù)館の本館
1949年京都市生まれ。陶蕓家。日本獨(dú)自の陶蕓?樂焼の家系の十五代目。東京藝術(shù)大學(xué)美術(shù)學(xué)部彫刻科を卒業(yè)後、イタリア留學(xué)を経て1981年十五代吉左衞門襲名、現(xiàn)在に至る。桃山時(shí)代に樂茶碗を造りだした初代長(zhǎng)次郎以來、400年余りの歴史と伝統(tǒng)を継ぐ樂家十五代當(dāng)主として、伝統(tǒng)に根ざしながらそこに安住することなく、常に斬新な感覚を示す造形美の世界を表現(xiàn)し続けている。國(guó)際陶蕓アカデミー會(huì)員。
佐川美術(shù)館 ご見學(xué)情報(bào)
住所 / 滋賀県守山市水保町北川2891
TEL / 077-585-7800
http://www.sagawa-artmuseum.or.jp/
開館時(shí)間 / 9:30~17:00(入館は16:30まで)
入館料 / 一般 1,000円、高?大學(xué)生 600円、中學(xué)生以下無料(ただし保護(hù)者の同伴が必要)
休館日 / 毎週月曜日(祝日の場(chǎng)合はその翌日)、展示替休館、年末年始
※WEBサイトにて開館カレンダーをご參照ください。
茶室見學(xué)は事前予約制(入館料 別途1,000円)
取材撮影協(xié)力 / 佐川美術(shù)館
2018年2月現(xiàn)在の情報(bào)となります。