祖國のために殉じた彼らの魂が伝えたいこと-霧島市國分「國分特攻基地記念碑」
- 更新日:2014年08月28日
- カテゴリ:周辺情報
日本はかつて、アメリカとその連合國を相手に戦爭をしました。
1941年(昭和16年)12月8日
ハワイオアフ島の真珠灣攻撃に始まった太平洋戦爭は、
1945年(昭和20年)3年9か月にも及びました。
その戦いの末期に「特別攻撃隊」という作戦が
陸軍、海軍の航空隊により行われました。
これは、
戦闘機に數百キロの爆弾を搭載して敵の艦船などへ體當たりをする生還の見込みがない、また戦死を前提とする決死の攻撃を行う部隊戦術です。
この作戦は1944年(昭和19年)10月から翌年の8月15日まで続きました。
鹿児島県は
特攻基地が數多く集中した地域です。
全國からの陸海軍の航空隊より集結し、沖縄の空に向けて飛び立ちました。
その特別攻撃隊の基地といえば知覧(南九州市)が有名ですが、
現霧島市內にも 國分第一、國分第二と2つの特攻基地がありました。
現在では、國分の第一基地は陸上自衛隊國分駐屯地になり、
國分の第二基地は鹿児島空港付近ですが、無くなりました。

20歳前後の若き青年たちが、その時どのような気持ちで行動したのかは私のような者には見當もつかないです…。
隊員たちは、特攻命令を受けてから自らの命を見つめ、生死観を形成し、覚悟を決めるしかなかったのでしょう。
自らは死ぬ運命にあるにもかかわらず、おそらく最後の瞬間まで家族や両親、兄弟や愛する人のその後の人生を気にかけていた事でしょう。
自分たちが命を懸けて護ろうとした祖國がこれからも美しく、そして世界に誇れる日本であって欲しいという願いが隊員の皆さまにはあったことでしょう。
特攻隊員として散華された若き先輩方は、私に多くのことを考えさせてくれた終戦記念日でした。
現在の陸上自衛隊國分駐屯地の
正門前に國分航空隊第一基地、國分第二基地の特攻隊員戦沒者427御柱の慰霊碑があります。
國分第二基地の慰霊碑は霧島市の溝辺町上床公園內にあり、資料室も常設されています。

■撮影年月日/ 全て平成26年8月
■國分特攻基地記念碑
(陸上自衛隊國分駐屯地正門前)
霧島市國分福島2丁目4-14
○交通アクセス/霧島高千穂リゾートランドより約21㎞(車で約32分)
■溝辺特攻碑
(溝辺上床公園內)
霧島市溝辺町麓3391-102
電話 0995-45-5111 霧島市総務課
○交通アクセス/霧島高千穂リゾートランドより約30㎞(車で約45分)












