【歴史散策】松尾鉱山の始まり
- 更新日:2010年03月19日
- カテゴリ:歴史
【松尾鉱山の始まり】
松尾鉱山は八幡平アスピーテラインを登って行く途中にある現(xiàn)在
廃墟と化している鉱山です。
この鉱山は硫黃と黃鉄鉱を産し、一時は「東洋一の硫黃鉱山」と
して栄華を極めていました。
今でも盛岡では松尾鉱山出身の方々とたまに會いますが、この
鉱山には最盛期で1萬4000人近く、麓の柏臺地區(qū)にも多くの人
が生活しています。
しかし、現(xiàn)在、その鉱山跡から出てくる鉱毒水の処理により年間
5億數(shù)千萬円という費用がかかっており、また跡地は廃墟化して
いる為、過去の栄華とは違った顔を見せています。
今回はその松尾鉱山の始めの頃のお話です。

松尾鉱山跡地の風(fēng)景(平成21年12月撮影)
當(dāng)リゾート地より約25km
松尾鉱山は1766年(江戸時代 10代將軍 徳川家治の時代)に
初めて記録が殘されていますが、山奧であった事から採掘や輸
送が困難だった為、開発が遅れていたそうです。確かに、今でこ
そ道路が通っていますが、短い夏とその當(dāng)時はブナの原生林で
覆われていたとの事ですからなかなか手が出せなかったのはう
なづけます。
明治に入り、佐々木和七と言う人が硫黃の大露頭(大きな塊)を
発見した事から1888年(明治21年 第2代総理大臣 黒田清隆
の頃)から小規(guī)模な試掘が始まったそうです。殘念ながらこの段
階では失敗に終わっていますが。
本格的に開発が始まったのは1911年(明治44年 第13代総理大
臣 桂太郎の頃)に橫浜の貿(mào)易會社増?zhí)镂荬U営し始めた事か
ら始まりました。
今回はここまでとしますが、詳しい資料や展示物が當(dāng)リゾート地
から約4kmのところにある八幡平市松尾歴史民族資料館に展示
されております。入館無料ですのでぜひ足を運んで見てください。
※この文は様々な資料や伝聞によって書いていますが、新説や
異なる內(nèi)容などあるかもしれませんのでご了承下さい。
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