志賀町の歴史 ?高山右近の碑?
- 更新日:2009年09月07日
- カテゴリ:その他

まず今回は、キリシタン大名 『高山 右近』 (たかやま うこん)
についてご紹介いたします。
天文21年(1552年)に高山友照の嫡男として生まれ、12歳でキリスト教の
洗禮を受ける。
高山氏は摂津國三島郡高山莊(現在の大阪府豊能郡豊能町高山)出身。
天正16年(1588年)に秀吉の改宗命令に従わなかったため領地を沒収され、
加賀金沢城主の前田利家に招かれ、1萬5千石の扶持を受けた。
慶長19年(1614年)家康の出した禁教令によって、マニラへ追放。
翌年20年(1615年)病になり、息を引き取る。64歳。
羽咋郡志賀町の地が、加賀藩當時の右近に與えられた知行のひとつであったことから、追放を免れた右近の長男十次郎などが當地を永住の地とした。
現在、羽咋郡志賀町代田(しなんた)、福井市、大分市に直系子孫の
3つの?高山家?がある。
右近は人徳の人として知られ、多くの大名が影響を受けてキリシタンとなった。
戦國時代の悲運の武將、高山右近の碑を志賀町に來られましたら、
是非ご覧ください!


羽咋郡志賀町矢蔵谷地內に高山右近の碑の案內
高山右近像と略歴
(能登志賀の郷リゾートより約3km)

※上記寫真はすべて平成21年9月4日撮影