【あそ通信】西南戦爭の歴史を歩いてたどる~玉東町観光ガイド?西南の役~
- 更新日:2011年02月10日
- カテゴリ:周辺情報
西南戦爭の歴史を歩いてたどる
〜玉東町観光ガイド?西南の役〜
〜玉東町観光ガイド?西南の役〜
1877(明治10)年に起きた日本最大の內戦?西南の役
西郷隆盛率いる薩軍と、薩軍を鎮圧するために南下してきた官軍との戦いです。熊本県下全域が戦場となりましたが、田原坂や吉次峠のある現在の熊本市植木町や玉名郡玉東町では激戦が繰り広げられたといいます
2006(平成18)年より、西南の役の舞臺となった史跡や神社を、地元の観光ガイドの方に案內していただく取り組みが行われています
希望する場所や時間によって、徒歩のみや貸切バスでのオリジナルのコースを組んでもらうことも可能だそうです
今回は、玉東町観光ガイドの會?會長の東原重則さんに、代表的な史跡を案內していただきました
希望する場所や時間によって、徒歩のみや貸切バスでのオリジナルのコースを組んでもらうことも可能だそうです
今回は、玉東町観光ガイドの會?會長の東原重則さんに、代表的な史跡を案內していただきました
まずは玉東町役場をスタートし、歩いて3分ほどの場所にある「正念寺」へ向かいます
▲玉東町観光ガイドの會?會長の東原重則さん。案內と合わせて、手作りの資料も多數用意されています
▲正念寺。當時は負傷した兵士を治療した病院として使用されていました
▲正念寺の境內の柱や壁には、西南戦爭の時の弾痕が殘っています
「當時の資料によると、毎日負傷者が300人以上運ばれ、治療を受けていたそうです。現在のように病院はなく、大きな建物といえば神社やお寺くらい。町中の建物が病院として使われていたそうです」と、東原さん。
境內には 「日本赤十字発祥の地」の石碑も立っています。
境內には 「日本赤十字発祥の地」の石碑も立っています。
次に向かったのは、西南の役で亡くなった兵士が眠る「高月官軍墓地」です。官軍墓地は、熊本県、鹿児島県のほか全國各地に35カ所ありますが、この墓地は最大のもので、980名の方
が葬られています。墓碑には、氏名、亡くなった場所などが刻まれていますが、よく見ると墓碑の高さや大きさが異なります。東原さんによると、士官や軍夫など、階級により大きさが異なるとのことです
▲玉東町役場向かいの玉東郵便局の裏手にある「高月官軍墓地」
▲墓碑には兵士の出身地なども記されています
玉東町內にある山々も激戦地となりました。町內を一望できる「半高(はんこう)やま」と「橫平山」にはそれぞれ慰霊碑と展望臺があります。現在は、斜面にみかん畑が広がる靜かな山ですが、慰霊碑のまわりには 「塹壕(ざんごう)」と呼ばれる、兵士が銃撃から身を守るために掘られた穴の跡が殘されているといわれ、調査が続けられているそうです。
現在、玉東町の観光ガイドは12名。熊本県內外から歴史好きの方や小?中學校の歴史學習などで、多くの方からガイドに関するお問い合わせがあるとのこと。
東原さんは、観光ガイドの會會長を務めて5年。「玉東町が西南戦爭の激戦地だということを知らない方は、まだまだいらっしゃいます。歴史ファンの方だけでなく、熊本の歴史に関する理解を深める意味でも多くの方に玉東町に足を運んでいただきたいですね」と話していただきました
【問い合わせ先】
玉東町観光ガイドの會
TEL/0968-85-3309(事前予約制)
料金/大人1000円(資料代として)、その他詳しくはお問い合わせください
アクセス/ロイヤルシティ阿蘇一の宮リゾートから約70km、車で1時間30分(玉東町役場まで)
















