【オーナー日記4】 中津訪問
- 更新日:2016年09月15日
- カテゴリ:オーナー日記4
梅雨入り直前の快晴の日に 念願の大分県西部にある中津市へ行った。中津と言えば、「福沢諭吉」(そして「耶馬渓」。)國道をドライブすると中津市に入ったことを示す中津市の看板(しるし)に福沢諭吉のイラストが使用されていることでもわかる。
~中津駅前に立つ福沢諭吉の銅像~
おまけに阿蘇からのドライブの経路上、「耶馬渓」の中を通過するルートで、耶馬渓の風光明媚な情景も同時に楽しんだ。
中津訪問の主たる目的は何といっても福沢諭吉記念館訪問。耶馬渓付近の道の駅でトイレ休憩した後は福沢記念館目指して直進。
=~福沢諭吉の生家~
~記念館內の諭吉の銅像~ ~福沢諭吉の大阪緒方洪庵の「適塾」入門帳~
~文明論之概略(1875年)
なお、記念館內に福沢諭吉の新一萬円札(番號A00001B)が日銀より起草され展示されていた。(なお冒頭にある中津江前の銅像は一福沢諭吉肖像の一萬円札発行30周年を記念して建立されたもの)
次に訪れたのが中津城天守閣。
中津城は天正16年(1588年)黒田孝高(如水)が築城した城で、江戸時代には中津藩の居城となり、1717年奧平昌成が10萬石で封入し以後奧平家の居城となる。日本三大水城(香川県高松城、愛媛県今治城とともに)のひとつ。
~天守閣~
中津の舊市街は、街並みも築城とともに整備され、寺町には城下町內のお寺が集中しており大変風情のある街並みが維持されている。
~寺町の風情ある石畳の道~
寺町のすぐ南にある鷹匠町(たかじょうまち)に代々中津藩の御典醫であった大江家の舊宅が醫家資料館として公開されており、その展示品のな中に解體新書の初版本が展示されていると聞いてさっそく訪れた。
~大江醫家資料館~
~これが解體新書初版本~
中津と蘭學
中津藩は藩主が蘭學に力を入れていたことから蘭學の寺子屋のようなものが城下町にあったらしく、その中で優秀な若者が判批で長崎に蘭學の修行に行ったりしており、藩を上げての蘭學振興のようだ。、福沢諭吉も下級武士の家に生まれながらこうした環境の中で蘭學を學び大阪の緒方洪庵の「適塾」に意気1年足らずで塾頭にまでなったという秀才ぶりであった。
帰りは奧耶馬渓で小休止、耶馬渓の初夏の緑一色を楽しんだ。
※福沢諭吉記念館??? 當リゾートより約130km
※中津城天守閣??當リゾートより約103km
※上記寫真は平成28年6月撮影
※オーナー日記は當社の依頼により、オーナー様の日々の生活の情報をいただき、當社スタッフが更新しています。