~宮城蔵王からこんにちは~ 「 10年目の閖上 」
- 更新日:2021年07月12日
- カテゴリ:オーナー日記
その85「 10年目の閖上 」
みなさま、こんにちは。
今年も梅雨末期のこの時(shí)期、災(zāi)害が発生してしまいました。靜岡県熱海市。この原稿を作成している時(shí)點(diǎn)において、まだ行方不明者が多數(shù)おられます。ご家族の方々のご心労、察するに余りあります。さらに、ほぼ不眠不休で捜索に當(dāng)たっている関係者の皆様の様子をテレビの映像で見るにつけ、泥の中での奮闘に頭が下がります。
夏を迎えたかのような青い空、青い海。
ここは、宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)海岸。10年前の東日本大震災(zāi)で大きな津波被害を受けた場(chǎng)所です。10年というのは、やはりひとつの區(qū)切りなのかなと穏やかな海を眺めて思いました。震災(zāi)後に各地で起きた様々な災(zāi)害のことを思えばなおさらです。折に觸れて海岸線に連なる被災(zāi)地の町を訪れてますが、夏を先取りしたような晴天のある日、10年目の閖上を訪ねてみました。宮城蔵王からも、さほど遠(yuǎn)くはありません。
防潮堤から波打ち際に向かうとき、軽く沈み込みながら砂浜を歩きます。さらさらとした、美しい白砂です。日本の海岸線のほとんどは、いわゆる白砂青松が基本だと思うのですが、ここ閖上も御多分に漏れず、白砂の背後には、津波に持ちこたえた松林が連なります。上空ではヒバリがうるさいほどさえずり、平穏そのものの光景です。
多くの被災(zāi)地で、海岸付近に復(fù)興公園を造成し、津波発生時(shí)の避難場(chǎng)所を兼ねたタワーや丘などを整備しています。閖上においても公園の中に、慰霊塔と、津波で犠牲になった964名の芳名碑が建立されていました。現(xiàn)天皇皇后両陛下が、閖上を被災(zāi)地訪問(wèn)された際に詠まれた和歌も刻まれています。
復(fù)興公園からちょっと離れた一角に、お地蔵様がいらっしゃることに気がつきました。「寄り添いお地蔵さん」とあります。この一角は、さきほどの芳名碑をいかにも見守っているような位置にあります。大災(zāi)害により、心ならずもその生命を絶たれてしまった多數(shù)の方々の無(wú)念を、寄り添い鎮(zhèn)め癒やしてくださっているのだなと、強(qiáng)く感じました。お地蔵様は昔から優(yōu)しいお顔で見守ってくださっていますが、近年になって建立されるお地蔵様は、優(yōu)しさに加えて可愛らしさも加味されているような気がします。お地蔵様が癒やしてくださる相手には、悲しいことに子どもたちもたくさんいるのです。きっと一緒に遊んでくださっているのでしょう。
穏やかで平和な海には、日常が戻りつつあります。
この日も平日にかかわらず、數(shù)人のサーファーと多くの釣人が閖上の海を訪れていました。大震災(zāi)の発生時(shí)刻は、忘れもしない午後2時(shí)46分。 閖上に限りませんが、あちらこちらの海で直前まで早春のサーフィンに興じていた、若者たちの映像が殘されています。津波の被害を最初にモロにかぶった海岸線は、居住區(qū)域と認(rèn)められない場(chǎng)所も多く、公園や商業(yè)施設(shè)がやっと建ち始めたところですので、ガラーンとした印象は否めません。それでも、少しずつ 少しずつ、働く場(chǎng)も楽しむ場(chǎng)も確実に増えています。
ここはその中のひとつ。小灑落たカフェを見つけたので入ってみました。小灑落たカフェではありますが経営は水産會(huì)社のようで、同じ店內(nèi)で水産物の販売も行っているのはご愛嬌です。私は、お店の方オススメの臺(tái)灣ドーナツを注文しました。いろいろな災(zāi)害が発生するたび、臺(tái)灣とは助け助けられてきた歴史があり、このメニューにも深い理由があるのかもしれません。宮城蔵王からでも、仙臺(tái)に行くのとほぼ同じ距離で訪れることができる名取市閖上。今度來(lái)るときは、また美味しいものを食べさせてくれるお店が増えているかもしれませんね。
※閖上(ゆりあげ)海岸:當(dāng)リゾートより約35km
寫真は令和3年7月撮影















