海幸探訪~國內(nèi)最大級(jí)の彌生集落遺跡「妻木晩田遺跡」~
- 更新日:2017年06月08日
- カテゴリ:探検
大山町から米子市に所在する、
國內(nèi)最大級(jí)の彌生集落遺跡
「妻木晩田(むきばんだ)遺跡」に行ってきました。
大規(guī)模リゾート開発計(jì)畫に伴い、
1995年から1998年にかけて行われた発掘調(diào)査で
発見されたこの遺跡。
その面積は156ヘクタール(東京ドーム約33個(gè)分)にもなり、
発掘當(dāng)時(shí)に國內(nèi)最大級(jí)といわれていた、
佐賀の吉野ヶ里遺跡の約5倍もの大きさがあり、
當(dāng)時(shí)は大きな話題となりました。
現(xiàn)在、全體のおよそ1/10が調(diào)査され、
竪穴住居跡420棟以上、掘立柱建物跡500棟以上、
墳丘墓34基が検出されています。
これらは、彌生時(shí)代中期後半から古墳時(shí)代前期に
渡って最盛期を迎え、倭國大亂という激動(dòng)の時(shí)代を過ごした
古代の人々の営みが殘されています。
こちらの遺跡ですが、とにかく広いので、
見學(xué)される際は無料で貸し出しされている、
電動(dòng)アシスト自転車に乗るのがオススメ。
自転車は駐車場橫にある「彌生の館むきばんだ」で
借りることができます。
それでは遺跡見學(xué)へ出発です。
まずは「彌生の館むきばんだ」の近くにある
「妻木山(むきやま)地區(qū)」へ。
こちらの地區(qū)は、彌生時(shí)代後期後葉(約1800年前)の
住居跡が最も多く見つかった場所。
竪穴住居や高床倉庫とみられる
掘立柱建物跡が復(fù)元されています。
竪穴住居は実際に中に入ってみることができ、
當(dāng)時(shí)の暮らしをより身近に実感することができます。
入ってみて驚いたのが、その涼しさ。
この日の気溫は約30度と真夏並みでしたが、
竪穴住居の中はヒンヤリと感じます。
溫度計(jì)があったので見てみると
24度を示していました。
竪穴住居からちょっと離れたところには、
ヒエやアワが栽培されていました。
妻木晩田遺跡では定期的に體験イベントが行われていて、
畑づくり體験で植えられたもののようです。
秋には収穫祭も行われるようです。
竪穴住居の骨組みを
再現(xiàn)したものもありました。
次へ向かう前に展望臺(tái)でちょっとひと休憩。
大山の麓に位置する妻木晩田遺跡ですが、
遺跡から大山を望むことはできません。
その代わり、南側(cè)にはキレイな三角形が
印象的な孝霊山(標(biāo)高751メートル)があります。
彌生時(shí)代の人々もこの山を眺めながら、
日々暮らしていたのでしょう。
次に行ったのは
「洞ノ原(どうのはら)地區(qū)」。
この地區(qū)には彌生時(shí)代後期初頭(1世紀(jì)中頃)に、
ムラの有力者とその家族を葬ったお墓がつくられたそうです。
石が並ぶこちらのお墓は、
「四隅突出型墳丘墓」と呼ばれる山陰地方の
有力者が好んでつくったお墓。
大きなお墓のそばには子どものお墓でしょうか、
1辺が1~2メートルの小さなお墓もありました。
お墓がある場所は、
弓ヶ浜半島と日本海を望む絶好のロケーション。
太陽の日差しが日本海にキラキラと反射して、
とても良い眺めでした。
古代の人々は、美しい景色を眺めながら、
安らかに眠っていることでしょう。
次に行ったのは
「仙谷(せんたに)地區(qū)」。
妻木晩田遺跡の墓域は、
洞ノ原地區(qū)→仙谷地區(qū)→松尾頭地區(qū)の順に
場所を変えながらつくられていて、
仙谷地區(qū)はムラが最も栄える直前の
彌生時(shí)代後期中葉(2世紀(jì)前半頃)に
つくられた墓域です。
こちらの墳丘墓には多くの人が埋葬されていたようで、
3號(hào)墓では22基にも及ぶ木棺の跡が見つかったそうです。
洞ノ原地區(qū)の墓域と同様に、こちらからの眺めも最高で、
弓ヶ浜半島と日本海を望むことができました。
ここまでで閉館時(shí)間が
近づきタイムアップ。
広大な遺跡を全て見學(xué)するには、
なかなか時(shí)間が掛かりそうです。
見どころたっぷりの「妻木晩田遺跡」。
皆さまも國內(nèi)最大級(jí)の彌生集落遺跡で、
古代ロマンに思いを馳せてみては如何でしょうか。
別荘地から約16.2km
撮影日:2017/5/29
大山と日本海の真ん中
自然豊かな
『ロイヤルシティ大山リゾート』
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